『大丈夫…』

それが、彼が残した最後の言葉だった。

何者かに襲われ、自分を庇って命を落とした大切な人はたった一人の兄だった。
そんな兄が、己の命を犠牲にしてまで自分を守ってくれたというのに
盲目であるが故、何の抵抗も出来ないままに兄の後を追う形で、
自分もまた命を奪われ世を去った。

けれど、最初は自分が命を失った事すら理解していなかった。
兄が死んだ事も、自分が死んだ事も判らず、兄と二人暮す家で、
ただひたすら兄の帰りを待ち続けた。

『にいさま…』

眠くならない、腹の減らない事など気にも留めず、ただひたすら兄の帰りを待った。
待っていれば、兄は帰ってくる。そう信じ、ずっと待ち続けた。
けれど、幾日経てど兄が帰って来る事はなかった。

遠い昔、まだその瞳に光を宿していた頃に見た兄の顔。
その顔も、思い出せなくなる程長い時を待ち続け、
何度も呼んだその名前すら思い出せなくなる程の時間を一人過ごしたけれど、
それでも兄が帰ってくる事はなかった。

わたしはもう、いらないのですか?
にいさまは、わたしをわすれてしまったのですか?

もう、何も覚えていない。何を思い出す事もできない。
優しい兄の声も、頭を撫でてくれた大きな手も、何も思い出せない。

『 ── にいさま…。』

わたしのきおくはそこでおわりました。





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2008.08.13