序.02 「君、いつからこの場所にいてるか覚えてる?」 「ずっと…です。にいさまがくるのをずっとここで…。」 「ずっと動かずに?」 「めがみえぬのはきけんだ、わたしはひとりでうごくな、とにいさまにいわれ…」 自分を兄と勘違いした事に気付いたらしい少女。 勘違いだった事への落胆から俯きながらもそれ以上の非礼をせぬようにと 自分の問いに、己の記憶を照らし合わせるように答えを返す。 ずっとこの場所にいる、そう言った少女。 けれどこの場所は河原であり、それ以前にここは”尸魂界”なのだ。 生きた人間が、足を踏み入れる事は決してない、死者の、魂の生きる世界。 だとすれば、おそらく。 少女は自分が死んだ事を理解していないのだろう。 兄の言うまま、兄を待ち続け、そしてその兄を待つ場所で命絶え、それに気付かないままに この世界へ送られた。 だから自分が死んだ事も、違う世界へ来たことも気付かず兄を待ち続けている。 「名前は…覚えてる?君の名前」 「わたしのなまえ…?」 「そうや、君の名前や。」 「なまえ…わたしの…」 待ちわびる兄の名も顔も声も、ともすれば己の名前すら思い出せない程の時間を 一人待ち続けたというのだろうか?この幼い少女は。 「大丈夫や、ゆっくりでええから…思い出せへんか?」 「わたしの…なまえを…にいさまが…」 俯いたまま、小さな手を握り締める少女の顔が、徐々に青褪めていく。 その、震える小さな手をそれ以上怯えぬようにと握り 「怖い事あらへんよ?一つづつ考えて、思い出して…」 「にいさまは…ずっと…」 虚ろに呟き始めた少女を座らせ、自分もその横に座って再び手を握り締める。 長い時を、遡り思い出し始めたのだろうか?何も映さないその瞳にジワリと涙が滲むのが判った。 「にいさまは…だいじょうぶ…と…っさいごに…そう…いって…」 「そういって、お兄さんがどうなったか…思い出せるか?」 「っにいさま…は…わたしを…っ…かばって…」 滲んだ涙は滴となり、1粒づつ零れ落ち始めた。 しゃくり上げる少女の背を、ゆっくり宥めるよう擦りながら 「その後、どうなったか…判るか?君は自分がどうなったか…」 思い出させるのは、幼い少女には酷かもしれない。 けれど、死んだ事にも気付かないままこの世界で過ごす事はそれ以上に酷となる。 「せっかくにいさまが…まもってれたのにっ…わたしは…っは…にいさまの…」 ─── 腕の中で、共に死を迎えました。 少女は最後、そう呟いたきり言葉を無くした。 それ以上、何も言えなくなった少女はこれで、自分が死んだ事を理解出来ただろう。 「ここはな?尸魂界云うんや。死んだ人の魂が、次生まれ変わるまで暮す世界や。」 ポロポロ流れ落ちる涙をそのままに、自分の言葉をジッと聞き、そして理解しようとしている。 「それこそ何千何万の魂がこの世界にはおるんや。」 言葉に対し、頷く事でそれを示す少女。 「ホンマの家族にこの世界で出逢えるのは稀なんよ…それに…」 その、幼いけれど聡い少女にそれを言うのは躊躇えたが、云わねば理解できないし、 理解せねばならない事もある。 「云いたないけど、多分君のお兄さんはこの世界にはいてへん。おそらく…」 「にいさまのたましいは…いないのですか?」 案の定、自分の遠まわしの言葉で少女はそれを理解した。 話しながら、少女の持つ僅かな霊圧と似た物を探した。 けれどそれは、一切感じ取る事は出来なかった。 もしかすると兄妹は、存在も知らない虚に襲われ命を落としたのかもしれない。 そんな漠然とした疑問は確信へと変わる。 「君のお兄さんや君を襲った相手、ぎょーさんおった?」 「すがたはみえませんが、けはいもこえもなく…にいさまは…ただだいじょうぶだと…」 盲目であるが故、他人の気配に敏感な者が、それに気付かない筈はない。 そして兄も、姿形の捉えられない者から妹を守ろうと、必死だったに違いない。 その身を持って妹を庇い、虚に喰われて転生叶わぬ身になったのかもしれない。 おそらく少女はそれを話せば理解するだろう。 「多分君のお兄さんは、もう人に生まれ変わったかもしれんよ…」 「ひとに…?」 「そうや。それまでの全てを忘れて、新しい命に生まれ変わるんや」 けれど、今度こそ躊躇われた。少女にそれを告げる事を。 だからつい、嘘をついた。 少女が安心し、二度と逢う事はない兄を待たずにこの世界で過ごせるように。 「は…もうにいさまには…っあえない…のですね…」 「その代わり君も…いつかは生まれ変われる。せやから安心して…」 安心して、そしてどうしろと自分は言おうとした? それに気付いて言葉が濁る。 安心して過ごす?この少女がこの尸魂界で安心して過ごせる場所があるのか? 一体この場所にこうしてどれくらい居たのかは判らない。 けれど、今こうして少女が一人ここに居る時点で少女は外れてしまったのだ。 家族を形作る流魂街の人々から。 盲目の少女が、この先一体どうやって生きてゆける? それを心配するような、心配してどうにかできるような、偽善者にすら自分は成れないというのに。 「ありがとう…ございました…」 何も映さない瞳を自分に向け、どうにか泣き止んだ少女は頭を下げた。 その気丈とも取れる姿に自分の幼かった頃が甦る。 待つ事に怯えた自分は待ちきれずに彷徨う事を選んだ。 探していた物が何かも判らずに。 「気にせんでええよ。…ちゃん…」 「はい…」 退屈する事が死よりも恐怖に感じ、 充実を得られる為、と彷徨った自分には何も出来ない。 だから、このまま立ち去れば良い。 「大丈夫、心配せんでも君にはきっと…」 この世界は少女を見捨てる事はしないだろう。 自分はこの世界を見捨て、見捨てられたけれどこの少女ならば。 「っはい…」 だから、大丈夫なのだ。そういうつもりで言った言葉は少女の止まった涙を再び溢れさせた。 そして気付いた。 自分が少女に、言った言葉がどういう事か?に。 (しまった…。) 言ってしまった後に後悔しても仕方ないが。 自分は、一人となる少女に対し、よりによって一番残酷な言葉を残してしまったのだ。 少女の兄が、最後事切れる寸前に少女に残した言葉と同じ物を。 「僕はな?ダメな大人なんや。退屈が死ぬより嫌いでなぁ…他人もあんまり好きやないんや。」 「?」 「せやのに、そんな僕やのに…何でやろ?君の事が放っておけんみたいでなぁ…」 きまぐれ、と呼ぶには複雑で、理解するには難解で。 他者との関わりも絆も何もかも、面倒事は絶対に避けていた自分が。 「僕と一緒に来る?君がこの世界におる間、僕が君の…」 自分と同じ色の髪の少女だけは、どうにも捨てて置けないらしい。 多分、飽きたといって途中で投げ出す事もない気がする。 言葉の続き、それを少女にだけ聞こえるよう耳元で小さく囁くと 「っ…にいさま…っにいさまぁ…」 少女は自分にしがみ付き、それまで遠慮がちに流していた涙を 我慢する事なく溢れさせた。 それが、との出会いであり、これまでとは全く違う生活の始まりとなった。 -------------------- 2008.08.15 ← □ →