本.17
迂闊だった、としか言いようが無い。
否、迂闊ではなく軽率だった、というのが正しいだろうこの場合。
アタシは、アタシの腕に抱かれている事すら気付かず
身体を震わせ涙を零す少女に対し、自分の中に生まれた罪悪感に苛まれていた。
””と名乗った少女。
黒崎杏子でありながら、そう名乗った彼女をアタシは直ぐに信用する事が出来なかった。
見えない感じない探れない何かを持つ彼女は、アタシからすりゃ十二分に不審人物であり、
絶対に警戒せねばならない者だった。つまり、アタシは彼女に対して
一切の信用を持ち合わせてはいなかった。
という訳だ。けれど、彼女が朽木ルキアという死神がその力を渡した相手である
黒崎一護という少年の双子の姉であるという事から、
アタシは彼女の持つ何かを確認せざるを得ない状況に陥ってしまった。
その結果、アタシとしても不本意、相手からすれば不本意以上に不愉快であろう、”接触”をアタシは試みた。
サンがウチの店を尋ねて来たあの日。
お互い、完全に決裂した形で別れたあの日の夜、アタシはある男の元を尋ねた。
『お久しぶりっス。』
『何か用か。』
アタシの顔、というよりは既に気配を察していたのだろう。
男はアタシの顔を見るでもなく、アタシに背を向けたまま微動だにしない。
既に尸魂界とは袂を分かち、関わりをも拒んだ黒崎一心。
と名乗った少女の父であり元死神である彼に聞く以外、明確な情報を得る事は出来ないだろう。
そう踏んだアタシは数百年振りに男の前に顔を出したのだが。
『実はお宅のお子サンについてお伺いしたい事がありましてね。』
『何も話す事はない…が。』
こちらに振り返り、拒絶する態度は崩さない一心サンは
『一護が自分で選んだ道だ、オレが口を挟む問題じゃねぇ。』
それだけを言うと、さっさと帰れ!もう何も言う事はない。と云わんばかりに再びアタシに背を向けた。
が、アタシが聞きたいのは一護サンの事ではない。
『今日伺ったのは息子さんの事じゃないんっスよ。』
アタシが聞きたい、知りたいのはアンタの娘の事なんだ。と言おうとした瞬間、
『ウチの娘にちょっかい出したらどうなるか…判ってんだろうな?』
立ち上がり振り返った親熊一心さんの形相は、
そりゃもう言い表しようのない程強烈といいましょうか、悪鬼が如く表情で。
『お宅のお嬢さん…一体何者っスか?』
『貴様…ウチの娘にナニしようってんじゃないだろうなっ!?』
『少し落ち着いて貰えませんか…アタシがアナタの娘にナニだか何だか知らないが…』
『オレは許さん!絶対許さんぞ!杏子も夏梨も遊子も絶対に嫁には出さん!!!』
アタシ相手に完全に別次元方向へ話しは向かい、挙句切れて暴れ出そうとする始末。
これがあの黒崎一心の成れの果てかと思うと頭を抱えたくなったが。
『お宅のお嬢さん…杏子さんでしたか。アタシに違う名を名乗ったんっスよ。』
『当たり前だろうがっ!ウチの娘が見ず知らずの男に容易く名を教えるとでも思ったか!』
頭を抱えたくなった、ではなくアタシはこの瞬間本気で頭を抱えた。
何をどう受け止めたらそんな結論に達するのか?以前に、おそらく話が噛み合ってないんだろう。
『そういう意味で言ってるんじゃないんっスよアタシは。』
『大体何故貴様が杏子に名を聞く必要がある!まっ…まさかお前杏子に一目惚r…』
『いい加減にしてもらえませんか…』
噛み合っていないんだろう、ではなく、全く噛み合ってない事をアタシは悟った。
一瞬、諦めにも似た感情がアタシを襲ったが。
ここまで来て引き下がる訳にもいかず
『お宅のお嬢さん、杏子という名を名乗った上で、もう一つの名である事を否定しなかったんっスよ』
半ば諦めながらもアタシは自分が見聞きした事実を述べた。
その瞬間だった。
一心サンは表情を変え、アタシに迫る勢いで…というか、本気で掴みかかってこられまして。
『杏子は…何て言った?』
『一心サ…』
『杏子は何と名乗った!?言え!浦原っ!!』
『っ……と…。』
けれど、アタシが杏子サン…ではなくサンの名を口にした途端だった。
『っバカな…っまさか…』
アタシの胸倉を掴む一心サンの手から力が抜け落ち…たかと思えば頭を抱えて座り込んでしまった。
そこからの一心サンは、アタシが声を掛けるのを躊躇う程の近寄り難い空気を放ち、
アタシは帰る事も声を掛ける事も出来ずそのままその場所で待つしか出来ず。
一体どれくらいそうしていただろうか。
重苦しい空気の中、漸く一心サンが口を開いた。
『すまんが浦原…杏子を…っを頼む…。』
『それは…どういう…』
『詳しくは話せん。ただもしアイツが…自分から何かを話したらその時は…』
『杏子サンがサンである事は…』
『否定はしない、それが全てだ。』
『けれどアタシはそれを否定したんっス、嘘だと決め付けて。』
『お前がアイツに…いや、アイツが関わっちまったんならお前が折れるしかねぇ。』
『アタシにどうしろとおっしゃりたいんで?』
『お前が謝罪するしかない、だろうな。アイツは…』
『アタシが頭を下げて謝罪してどうなるんっスか。』
『謝罪出来ないならアイツの言葉を信じて認めてやればいい。それが出来ないなら…』
『出来ない、と言ったらどうなるんっスか?』
『アイツは何があってもお前を受け入れないだろう…』
『市丸ギンが彼女に接触してるんっス。』
『それをアイツが許してるって事は…市丸ギンがアイツを信じたってだけだ。』
『つまりアタシが信用しない限りは…』
『アイツは自分を受け入れた相手にはとことん甘い。けどそうじゃない相手には…』
『容赦ない、と?』
『ああ。存在すら無しにするだろうな…ただ…』
『まだ何かあるんっスか?』
『いや…いい。一護はともかくアイツも関わっちまったんなら仕方ねぇが…』
『努力はしてみますよ、アタシだって一応その為にここに来たんっス。』
『アイツに嘘は通用しないって事は忘れんな。信じたフリ、受け入れたフリは…』
『肝に銘じておきます。』
『浦原、アイツは…』
そして、最後に一心サンが口にした台詞。
『アイツは 。』
その意味までは理解出来なかったが、アタシは自分がまずしなければならない事を知った。
アタシは全て…とまではいかないが、サンの持つ何か?が大きなものであり、
やはり彼女をこちら側へと留めておかねばならない存在だと改めて認識し、
フリではなく彼女を信用し、杏子でありである事を受け入れたのだが。
会話の中、サンが時々口にするあの死神の名を聞き、
アタシの中にどこか釈然としない想いが湧き上がった。
さらに、絶対という物を信じる姿勢に苛立ちさえ感じた。
彼女にとって、弟も含め家族という存在は絶対的なもので、
それ以外は排除する事も平気だという素振りや、それこそ
その絶対的な場所に位置する者の為なら…という姿がアタシには理解出来ず。
『例えば、の話っス。もしも、だ。もし一護サンが…。』
そう口にしたのは単なる軽い気持ち、というかほんの些細な悪戯心からだったのだが。
見る見る顔色を失っていく様子にマズイと感じた瞬間には手遅れだった。
何かに怯えたかのように身体を震わせ、青褪め思いつめたような表情で涙を流すサン。
その口から零れる言葉はどれも、何かに助けを求めるようなもので、
痛々しい、と感じると同時にアタシは彼女が持つ”絶対”が本当はどれほど脆く儚い物だったかを知る。
そして、一見芯の強い少し大人びた少女がアタシの他愛ない言葉一つで
こうも揺らいでしまう程に弱い少女だった事に気付く。
「すいませんでした…」
咄嗟に腕に抱きしめ、アタシは何度もそう繰り返したが、
いくら繰り返してもサンには届かなかった。
それはアタシが、
信用する、受け入れる、大人のアタシが折れたのだから…
という常に上から目線だったからなのかもしれない。
アタシはそれらも含め、サンに全てを詫びる意味で何度もそれを繰り返し続けた。
アタシの言葉が彼女に届く事を願い祈るような気持ちで何度も。
「…………えーっ…と?」
漸くアタシの言葉が届いた時、サンは自分の置かれた状況がサッパリ理解出来ていなかったのだろう
腕の中、モゾリと動いてアタシを見上げ首を捻る。
そして、自分の状況を理解した瞬間
「なっ…」
「どうかしたんっスか?」
「なんと破廉恥なーーーーーっ!」
全くもって意味の判らない叫びと共に、
いつぞやの如くアタシに思い切り右ストレートをお見舞いしてくれました…………。
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2008.11.19
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