本.18 「ごめんなさい…。」 「いえ…。」 またやっちゃった。 うん、またアタシってば綺麗に右ストレートを決めてしまったのだ、見目麗しい喜助さんの左顎に。 だって、気付いたらアタシ何故か喜助さんのうっ…うっ…腕の中だったとか何それ訳判んないんだけどゴニョゴニョ…。 な、もんだから思わずっていうかついっていうか、驚いて焦って気付いたらこう右手が勝手に? けど、何でアタシはあんなこっ恥ずかしい格好で?と、謝罪しつつも喜助さんを見上げて見れば 「ぅっ…。」 「サン?」 申し訳なさそう、な中にももっと他の?こう生暖かいとは別の色が混じってて。 そんな目でアタシを見て下さってたもんだから、見上げた瞬間視線がバチっと合いまして。 うっかり鼻血噴くかおもたー… と、アタシは咄嗟に口元を覆った。(正しくは万が一を考えて鼻の辺りを覆った。) 「申し訳ありませんでした。」 「へ?」 そんなアタシにまた何か勘違いしたのか、喜助さんはまた謝り始めるんだけど正直、 アタシ自分が何で謝罪されてんのかあんま覚えてないんだよね。 何か、こう凄く胸に染み入る…じゃない胸を抉られるような事言われて電波飛ばす寸前に意識飛ばしかけたっつーか。 だからそんな心配そうな顔で謝罪されたらこっちの身も心も持ちません!違う意味で。 「喜助さん、もう謝るの止めてくんない?ゴメン、アタシちょっとボーっとしてて覚えてないっていうか…」 「アタシの声、聞こえませんでした?」 「アタシの声って…ん〜…”すいませんでした”って?」 「ええ、それっス。」 確かめるような、そんな喜助さんの言葉にアタシはついさっきまでの自分の状態を思い返してみる。 何もない、真っ暗闇しか思い出せない中、聞こえてきた声に気付いたのは間違いなくて、 その声が喜助さんの声だって気付いてそれからそれからえーっと…。 「よく判んないけど…喜助さんの声が聞こえてきてそれで…」 「それで?」 「目が覚めた?みたいな感じかなぁ…うん。」 「そうっスか…アタシの声、聞き入れてくれたんっスね。」 「よく判んないけど多分?」 あの声が、アタシを現実へと引き戻してくれた。という事だけはハッキリしてる。 けど、そうなったきっかけ?みたいな物が喜助さんの言葉だったって事もどこかで覚えてて、 やっぱりこの人は浦原喜助なんだなぁ、と改めて感じた。 信用していても尚、どこか一線を画する人。 それが、上手く付き合っていく上で大切だというのなら仕方ないけれど、 それはそれで少し寂しいような?気もしなくはない。 まぁ、アタシ自身がまだ全てを口に出来る訳じゃないからお互い様っちゃお互い様だけどさぁ。 「そろそろ帰るね、んで…また来てもいいかなぁ?」 やっぱりね?もう顔合わせなくてもいい!って言える相手ではない。 だって浦原喜助ですもの!!!!!!! 「遠慮なく来てくださいよ、好きな時にいつでも。」 だから、そう言ってくれた言葉に嘘とか誤魔化しが混じってなくて、微笑んでる事にも嘘はなくて、 本心からの物だと素直に受け止められる事が嬉しくて。 「喜助さん、ありがと…。」 この人は敵じゃない。 切り捨てる対象でもなければ、多分アタシを切り捨てる事もしないだろう、 と、そんな言葉が自然に零れた。 「サン、アタシはまだアナタから全幅の信頼を寄せてもらえないかもしれない。けど…」 「そんな事…ない…。」 「いいんっスよ、アタシが最初に間違えたからそうなった事。」 「う…うん。」 「これだけは覚えておいて下さい。アタシは必ずアナタの信用を…」 「う?」 「得て見せます、必ず。だから…アタシを信用して下さい。アタシは決して…」 (アナタを裏切らないから。) ちょっとおおおおおおおおおおお!それ反則じゃないのおおおおおおおっ! 最後の一言を、耳元で囁くとか信じらんねぇぇぇぇぇぇぇぇっ! おおおおおおおおおおまけにっ! 華も綻ぶかの如く極上の笑み とか止めてくれえぇぇぇぇぇぇっ! 「し、心臓がっ……。」 「お送りしましょうか?」 「結構でございまするっ!」 これ以上ここにいたら本気で逝ける気がしてきた。 「まっ…また来ますうっぅぅぅ…」 最後はもうみっともないを通り越してたかもしんない。 一人ジタバタドタバタして、カバン抱えて逃げるようにして店を飛び出したアタシ。 背中に刺さる生暖かい視線が余計何ていうかこうアタシの羞恥を煽りまくりで、 「やっぱり最大の敵は浦原喜助だわ…。」 アタシの人としての理性を崩壊させる最大の敵は喜助さんやもしれん、と改めて感じた。 余談ではあるが。 「なっ!?杏子…そそそそそそそ…」 「何よいきなり!」 「その顔は…何があった!?お父さんに言えないような…はっ!?ま、まさ…」 「いきなり喧嘩売ってんのか?」 「杏子が…杏子が汚されあああああああああああああああっ!」 「何想像してんだよ親父のくせにっ!!!!」 帰宅直後、偶然玄関で鉢合わせした親父が錯乱する程に、アタシの顔は真っ赤に染まっていたらしい。 ちっ、アタシとした事が抜かったわっ! その夜だった。 慌しくも嬉しいような不思議な夕方の出来事が過ぎ、静まり返った夜更け。 フワリヒラリ アタシの元へと真っ直ぐに飛んでくる一羽の揚羽蝶が現れた。 目と鼻の先、指を差し出せばピタリと止まり、 『こんばんは、ちゃん元気にしてはる?』 と、ちょっとだけ間延びしたような?脱力さえ感じる…けれど嬉しくも感じる声が聞こえてきた。 ギンちゃんからの定期であり不定期なメッセージ。 それは、他愛ないいつもと変わらない近況報告のようなものだったというのに、何故かそれに涙が零れた。 胸に湧き上がるのは、浦原商店であった様々な事。 あれはあれで良い結果を招いたし、あれで良かった。 あの出来事があったからこそ喜助さんとはこれまで以上に良い関係を築いていけると思うし、 喜助さんがアタシにくれたものは、アタシにとって多分とても大切な物で大きな物で、 アタシは喜助さんになら話していいかもしれない、とさえ思い始めてる。 それなのに、訳もなく意味もなく涙が溢れ 『ギンちゃんっ…逢いっ…たいよぉ…。』 他愛のない返事を返すつもりで、笑ってくだらない事言って済ませるつもりだったのに、 アタシの口から出た台詞はそれだけだった。 今のは冗談だから!ゴメン嘘なの〜騙されたでしょ?って 誤魔化そうと思っても、言葉も出てこなければ涙が溢れるばかりで。 フワリヒラリ 再び主の元へと戻っていく揚羽蝶を見送る事も出来ず、 アタシは一晩中泣いて泣き続けて朝を迎えたのだった…。 -------------------- 2008.11.29 ← □ →