本.33


「明り位つけといて欲しかったね。」
「ウトウトし始めて面倒だったから…。」
「で?少しは落ち着いた訳だ…。」
「一応。お騒がせしました…。」
「随分落ち着いてる。公園の時とは全然違う?」
「まぁ、見つかっちゃったし?開き直ったっていうか…」

机を間に向かい合わせに座り、改めて対峙して感じるのは

「けど…あれって冗談じゃなかったんだ。」
「あれ?」
「元はこんな子供じゃなかったー!って言ってたヤツ。」
「見ての通りです、ええ。」

少女の姿の時と、大人で元の姿だという彼女の違いだった。
喜怒哀楽の激しい、口汚く男以上に漢前な彼女からは、
こんな風に落ち着いた様子は微塵も感じた事は無かった、一度も。

「何か変な感じだよ、大人し過ぎて。」
「んー…まぁ、その辺りも冷静にね?分析したんですよ、ついさっき。」
「そりゃ…何ていうからしいっていうか…。」
「一応アタシも立派な大人ですから。カカシさんより大人です、ええ大人…。」

そして、言葉使いが必要以上に丁寧なのが多少気に掛かる。
落ち着いた、とは言いながらもどこか何かを悩んでいる感がするのは、
その表情にも原因があるのかもしれない。
彼女はまだ、一度もオレの目を見て話をしていなかった。

「その口調さ、ワザとなの?慣れなくてね、聞いてて薄気味悪いんだけど。」
「ああああああああすいません、いや、そうじゃなくて色々考えてたら…っと…。」

だから、そんな風に俺を見ようとしない彼女の瞳にオレを写したくて、
踏み入る事を拒絶するように張り巡らされた見えない壁を壊してやりたくて、
いつもなら調子を崩される彼女がオレの言葉に振り回されている姿が妙に楽しくて

「どっちがホントな訳?どっちも嘘?どっちもホント?」
「っそれは…。」

強引でも、今目の前に居る彼女の真実を見たかった。
飾る事もない、遠慮も何もない本当の彼女を。

「そうだな…先ずは、口調からどうにかできるデショ?」
「はぁ〜っ…どうにかって言われても、実際これも素な訳で…。」
「はぁ!?何ふざけてんの???」
「や、全然ふざけてないし?イイ大人があんな口調じゃそれこそヤバイでしょーが。」
「んじゃ普段のちゃんが嘘って事?」
「ん〜…別にあれも嘘じゃないけど…さ?」

会話を続ける事で、多少和らいできたんだろう彼女の口調にも多少変化が現れ始めた。
です、ます口調は徐々に無くなり

「普通に話してもらえない?一般の大人がどうとかって常識とかそんなの抜きにして。」
「普通って一番難しい…って知ってる?」
「ちゃんが言う”素”ってやつでいい。」
「だからこれが普通なんです!誰が何と言っても普通なのですよ。」

再び畏まったような?口調に戻ったり戻らなかったりの繰り返しが続き、
オレはそこで漸く理解した。

「ホントに普通の大人なんだ…。」

砕けながらも、どうしても丁寧な感じが残る口調が彼女の”素”だと言う事を。
そうなると、今の姿じゃない少女の彼女の”素”はどこにあるというのだろうか?
このオレをいとも簡単に振り回し、辛辣で一切飾る事のないあの毒舌は。

「あれもアタシで間違いないんだ…けど。」
「自信無い…ってどうなのそれは!?」
「いや、ぶっちゃけて言うとですね?単純計算してん十年前の記憶な訳だ。」
「それがどう関係するの?全然関係ないデショ!?」
「簡単に説明すると、少女なアタシは尖ってた訳で…。」
「全然意味判らないし!!」
「記憶ってあやふやな存在なのよね…。」
「そこで物凄く遠い目されてもね、オレは困るだけなんだ、判る?」

一体彼女が何を言いたくて抽象的な表現をしてるのかが判らない。
どちらの彼女もという一人の人間である事に違いはない以上、
ただ単に彼女の事を知りたいという気持ちと、
彼女の抱える不安要素を知れば解決出来るんじゃないか?
ただそれだけで話をしようとしているのだが。

多分、彼女はその一歩が踏み出せないのかもしれない。
その一歩は彼女にとって、とても重要で大きなもので、
一年と少し…という時間を過ごしただけの、単なる顔見知り程度の
相手にはおいそれとは話せない、という事なのだろうか。

そうなると、それはそれで気に入らないってのが本音だ。
オレはついさっき、自分の中にある彼女に対する不可解な感情の正体にうっかり気付いたばかりで、
うっかり気付いたばかりに焦りたくなるのもオレの感情だから判るんだが、
こうものらりくらりとかわされて面白い筈もない。

「オレの事、信用出来ないんだろ?」
「………は?」
「信用出来ないから話せない話したくない。違う?」
「それは全然違う方向に話が進んでる気が…?」
「オレは君の言葉を信じた。だから姿が変わった君を一目で見つけた。」

彼女の行方が知れない間、オレ達がどんな思いで過ごしたか?気付いてない彼女じゃない筈で。
見つけたオレに、否定しながらも自分がである、と認めたのは
信用したからじゃないのか?単に仕方なく…だったというのか?
と、大人気なくも自分の感情に苛つき、当たっても仕方ない上に当たる相手が違うのは
判りきってる事で。

けれど、こちらがどれだけ歩み寄っても彼女自身が遠ざかれば全く意味が無い。
根気勝負になるのか?それとも
折れて時間を置いて時間を掛けてゆっくりと話を聞きだすべきなのか?
それ以上に彼女は彼女で悩み考える事もあるだろう、オレもオレなりに考えたい事もある。
と、そんな事を考えている内に会話も自然に途切れ、今度は口を開くきっかけを見失い
延々と無言が続き、空気もどんどん重くなっていく。

時間だけが進み、何も解決せず糸口すら見えず、
気付けばオレ自身、彼女の何を知りたいのか?知ってどうしたいのか?
判らなくなり始めていた。それ以前に根本的な何か…
そう、彼女が元に戻るのかどうか?その方法はあるのか?
戻るべきなのかどうか?それともこのままが彼女の言う元の姿ならこのまま?と、
どんどん訳の判らない方向へ頭を悩ませるしかなく。

「アタシは…」

沈黙を破り、口を開いた彼女が零した言葉が

「アタシが一番…判らない…。」

幾度と繰り返された言葉であり、それが彼女の抱える問題なのだ、と漸く気付き、

「何が判らない…か、判る?」

頷いた彼女が自分からその一歩を踏み出そうとするのを、固唾を呑んで見守るしかほかなかった。










「全部に精一杯で、とにかく必死だった。」
「何に?」
「全部、生きるって事全てにおいて。」

それが、何を言おうとしているか?まだ判らない。
ただ、思い出すように宙を見つめる視線が彼女の昔を辿っている事だけは判った。

「周りとか、どうでも良かった。ただ、とにかく必死で守らないと…ってそれしかなかった。」
「誰を?」
「弟。一つづつ大切な物無くして、もうアタシに残ってたのは弟だけだったから…。」
「そっか…。」
「丁度それ位だと思う、ここに来たアタシが…アタシの年がその頃のアタシと。」
「つまり…?」
「あんな風だった、って事。自分からは噛み付かないけどね?売られたら噛み付いてたっていうか…。」
「成る程ね…つまりオレ達が知るちゃんは、嘘じゃないちゃんで間違いない?」
「そう。でも無意識なんだよね…全然気付いてなかった。」

どんだけ勇ましい少女時代だったんだ…はともかく。
大人である彼女が、年若く戻りこの里に現れ生活する中で、
無意識の内にその時代と同じ行動をしていた、という事は判った。

けれど、今とあまりにも違い過ぎはしないだろうか?
リーの言った”未亡人うんぬん”という表現は、当たらずとも遠からず、といった感じで、
あまりにもかけ離れすぎている印象が今の彼女にはある。
控えめ…とは違う、どこか度を越したのんびり感にも似たような、
それこそ”知らないおじさんに着いて行ってはいけません”と言いたくなるような雰囲気。

「けどさ?今と全然違うんじゃない?正反対っていうか…。」
「気付いた訳ですよ、あれ?って。」
「何に?」
「娯楽っていうか?楽しい事とか特になかったし、ただひたすら働いて…」
「働いて気付いた?」
「時間が過ぎて気付いた。弟が結婚してようやく手が離れて…気付いた。」
「時間が過ぎた事に?」
「それも含めて、何も無い事に気付いてしまいました。」
「何も無い…って…。」
「そのまんま。何もなかった。凄くね、びっくりした。」
「何に驚いたの?」
「周りの景色が変わってる事に気付いてない自分に。遊び方も知らない自分に。」
「景色が変わる…って?」
「建物が建ってたり、道が出来てる事に気付いてなかった。」
「全く?」
「うん、全く全然気付いてなかった。それに死ぬほど驚いた。」
「そりゃ驚くね…。」
「そして気付いたのは、自分の中にゆとりも余裕も何も無かった事?」
「で、どうにかしたの?」
「頑張るのをやめて隠居した…。」
「それはちょっと違うんじゃ…。」
「仕事辞めて、違う仕事始めて、のんびり過ごす事にした…けど…。」
「何か問題でもあった?」
「大有り!何していいか判らないのですよ、のんびりってどうやるの?みたいな。」
「それは…重症じゃ…。」
「自分がやりたい事やれば?って言われて、やりたい事が判らなかった。」
「一つも?」
「だって、生きるだけで精一杯の生活からいきなり自由ですーって言われても…ねぇ。」
「そうかもしれないけどさ…。」
「燃え尽き症候群、てやつでした。若くして…ってまぁ若くないけど。」
「で、こうなった。と?」
「無関心なだけじゃない?って言われたけどね。考えるのも面倒で…」
「でもさ?ナルトが最初の任務で旅立つ時にくれた…のとか?料理とか好きでやってるんじゃ?」
「料理は生きる上で必須、あれは手先の器用さを武器にいろいろやってみたり?」
「多少は試したんだ。」
「うん、浅く広く色々やった。やってそれで、まぁ普通に?って感じですかね…。」
「じゃあさ?何が判らないの?」

昔(といってもオレにとっては今)の彼女と、目の前の大人な彼女の
雰囲気も含め違いがある事の経緯は理解できた。
けれど、肝心の確信部分が未だ未解決のままでは多分、どうしようもない気がして。

「違う、全然違う。」
「だから、何が違うのか言わないと判らないデショ?」
「顔が違う。アタシはあんな顔じゃなかった。」
「だから?」
「だから…って赤の他人かもしれないのに!」
「問題点はそこにある?」

何故彼女がそこまで顔に拘るのかは判らない。
それ以前に、何が頑なに否定させるのか?

「どう考えてもちゃんの顔だと思うけどね、オレは。」
「何で言い切れるの?アタシの事知らないでしょ?だったら言い切らないで。」
「絶対に違うって何で言い切れる?自分の顔位覚えてんデショ?」
「っそれくらい覚えてる!だから違う…って…」

叫ぶように、違うと繰り返していた彼女は突然口を塞ぎ

「お…ぼえて…ない……。」

愕然とした表情で、そう呟いた。

「覚えてないの?自分の顔を?」

さすがにそれはないだろう、と考えるのは浅はかだろうか?

「思い出したくないから?だから…おぼえて…っ!?」

けれど、彼女はもしかしたら本当に覚えてないのかもしれない、と感じたのは
疑問符を浮かべてばかりだった彼女が突然、何かを思い出したように俯きがちだった顔を上げた時の
その表情を見たからだった。

「知らなかったんデショ?景色が変わった事。」
「………うん。」
「見なかったから?見ても気付かなかったから?どっち?」
「判ら…ない。全部に気がついてそれでっ…気がついたから…。」

そして、オレは不意に悟った。
彼女が何を否定し、何故否定し、どうして受け入れられないのか?を。

「自分じゃない誰かになってたとしたら?って思った?」
「っ!?」
「オレが、どっちもちゃんだ。そう言ったから迷った?」
「だって…アタシじゃない…。」
「そこが間違いじゃない?”思い出せない”と”思い出したくない”は別デショ?」
「覚えてない!思い出せない!!!」
「違う!思い出したくないだけだ。」

多分、彼女は覚えている筈だ。
自分の顔を思い出せない人間など存在し得ない。
それを、覚えてないと言い切り、思い出せないと言い張るのは彼女の恐れ。
そこに繋がる時間が、彼女にとって”思い出したくもない”時間だから彼女は多分…。

「思い出したくもない事が続いて、振り返るのも嫌。けど…」
「けど何?それが悪い事!?思い出して…たら…先に進めないでしょ!」
「でも今は違うだろ?自分の昔を”思い出せない”なんて悲しいデショ?」
「全然悲しくなんかない。もーうんざりだわ…。」
「逃げてもどうしようもないけどね。」
「逃げてない!!」
「少し落ち着けば?」
「アンタが苛つかせてんのよっ!!!」

相当ご立腹の彼女は、いつの間にかその口調も聞き覚えのある物に変わっていた。
その表情も含めて。

「幸運なんじゃない?」
「何言ってんのアンタ。」
「やり直せる機会デショ?」
「はぁ?だから何いっ…」
「一番思い出したくない時にやり直せる機会を持って戻れた…って事デショ。」
「何よそれ…。」
「時間に追い回されて、一番いい時間になる筈だった”時”を忘れるなんて馬鹿げてない?」
「時間に追われ…って何よ。」
「余裕も何も無かった。って事はつまり時間に追われてたって事。」
「追われてなんかない。ただ精一杯生きて…」
「それを、追われてた。って言うんだよ。違う?」

生きる為、を免罪符にして彼女は時間に自ら追われる事を望んだ。
けれど、追われ過ぎて振り返る余裕すら無くして、結果、
思い出せる筈の物すら思い出せない状況へ自分を追い込んだ。

「カカシさんから見て…本当に…アタシは…アタシだった?」

しかも、彼女から見て違う世界だというこの里へと突然やって来て、
おまけに否定したい時の自分に戻り、前触れもなく元に戻れば混乱もするだろう。
それは多分…

「ここで暮らすちゃんが、成長した姿です。って説明すれば皆納得すると思うけど?」
「ナルト達も…?」
「見れば納得する。絶対って言い切れるよ。」
「アタシは…あんな顔だった…?」
「だから、慌てなくてもいいんじゃない?ゆっくり考えてさ?」
「そうしたら…思い出せる?」
「頑張ったちゃんに、カミサマからの贈り物なんじゃない?ゆっくりやり直しなさいって。」
「………思わなかった訳じゃないの。やり直せたら…って…何であんな風にしか…って。」
「普通そうだろうね。オレだって…そう思った時もあった。」
「でもそんなの叶う訳ないって判ってたから…」
「叶っちゃたみたいだけどね、ちゃんの場合は。」
「ホントに…いいのかな…。」
「いいんじゃない?時間に追われさえしなければ。」
「………うん、そう…だよね。」

ありがとう、と小さく彼女が呟き、
どういたしまして、とオレが応えた時だった。
彼女を覆うように張られていた見えない壁が音を立てて崩れていく様が見えた…気がした。





明日、ナルト達の所に戻ってきちんと話しをする…そう照れながら言った彼女は、
ついでに今晩お世話になります、とオレの寝室を占拠してくれ(ご丁寧に鍵まで閉めて)
当然オレは台所で一晩をあかす羽目になったのだが。



















翌朝、けたたましい金属音に叩き起こされるオレ。

「おはよー!」

訂正。
けたたましい金属音を鳴らしながらオレを叩き起こしてくれたちゃんを見て愕然とした。

「……………は?」
「いや〜参った参った。」
「…………そうじゃないデショ!?」
「何ていうかー、昨日あれからうっかり思い出せたっていうかー?」
「は、はははは…。」
「そしたら朝起きてびっくりー!戻ってた。」
「随分簡単に言ってくれるじゃないか。一体どれだけ心配したと思ってんの!?」
「………ごめん。」
「(そこで素直に謝るのは反則だろ…。)」
「でも、もう大丈夫だと思う。やっと…ちゃんと納得出来たから。」
「だといいんだけどね…。」
「カカシさんのお陰だと思ってる、嘘じゃなくて思ってるから。」
「(だからそういう反応っていうか態度は反則だろ…。)」

目覚め、元に戻った彼女は全ての問題を解消できたのだろう、
随分とスッキリとした表情だった。
ただ、勇ましくも歯切れの良い毒舌にも似た彼女独特の口調は、
オレが知る彼女とオレだけが知る彼女が上手く混じり合い、
一番自然な形で彼女に溶け込んだ…というか、
おそらく、これが彼女のあるべき姿なんだろうと理解した。

そう、理解はしたのだが。

どうにも納得出来ない。
随分と丸くなったというかしおらしいというか、
荒々しくも男らしい中に時折見せる丸みを帯びた女性らしさというかなんと言うか。
それに対して今後、邪魔な輩が続出しそうな気がして気が気でないというか。

ようするに、だ。

「今まで通り、雄雄しく荒々しい頑張ってよ。」
「何か言葉尻に引っかかる感じがするんだけど…気のせい???」
「気のせいデショ?」
「嘘つけコラ!何か面白がってんだろおぉぉぉぉっ!」
「いやいや、そのままが一番いいって事だから。」

君の真実を知るのはオレ一人で十分だ、って事。



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2009.02.24