◇◆ Spring -April- ◇◆ 4/4 気がつけばまた【ここ】にきている自分にウンザリする。 忘れようとしても忘れる事ができなかった【ここ】で起こった幼い日の出来事。 ……もう行かなきゃ……。 旅立ちの日、幼い自分が伝えた言葉。 王子は、 なからず迎えにくるから……。 そう答える事が、当たり前だと思っていた。 ……約束。 そしてそれは、自分に出来る事だと思っていた。 けれど、あの頃とは随分変わってしまった。自分に出来る事だと思っていた事が、 いかに簡単でいて、実はいかに難しい事だったのかという事を 思い知らされれた時、幼い頃の優しい思い出は思い出として、忘れる事を選択した。 それなのに、この街に戻ってきた自分が一番先に向かった場所が【ここ】だった。 そして、忘れたはずのあの出来事を思い出した。うっすら、ぼんやり…ではなくハッキリと。 それ以来、【ここ】にきては今の自分とは違いすぎる程幼い自分を思い出しては 結局どちらの自分も【ここ】から離れられない事にやっぱりウンザリするのだった。 ---もうすぐ式が始まる頃か…。 あんなくだらない事に参加する気など毛頭なかった。 参加して自分が不愉快な思いをする位なら、後から教師に呼び出された方がマシだとすら思う。 ---どうせ…。 誰にも解りはしない。不躾な視線がどれだけ不快で、 勝手な思い込みと想像だけで自分の全てを決め付けられる事がどれだけ迷惑か、なんて。 それが判っていたからこそ、思い出したくないあの思い出と一緒にここにいる事のほうが マシだった。だから俺はここに来た………筈なのに。 ---誰…だ? 余程の事がない限り、人がここを訪れる事など無い事を知っていた。 だから一人になりたい時、俺は誰にも知られないようここに来る。 そんな、人の気配など皆無な場所だというのに。さっきまで人の気配などなかったというのに。 入り口の前に立つ人の姿を見つけた。 ---制服…か。 制服姿の誰かが、教会を見上げている。 ドクン その、誰とも判らない後姿に反応して俺の心臓が大きく脈打った。 俺の心臓は、俺の思考回路よりも反応が早かったようで。 頭に浮かんだ一つの疑問を確かめようと、俺がその後姿に向かってゆっくり足を進め…たその時。 「!?」 後ろも振り返らず、相手は俺に突っ込んできた。 正確には俺に気付かなかった事がそうなった原因なんだろうけど。 その勢いに押されて転んだ相手の顔に俺は息を呑んだ。 ---間違いない…。 「大丈夫…か?」 俺は自分の動揺を抑えて手を貸そうと差し出した。 「は…はい…あ、ありがとうございます先輩」 そして、向けられた言葉に更に動揺が込み上げるのが判った。 ---まさか…。 俺を見て【先輩】と言う事は、俺が誰なのか解らないって事なんだろうか? 「新入生…?」 混乱するまま、気付けば俺は無意識に言葉を発していた。 「はい!」 「なら…先輩じゃなくて…同級だから」 「私、!アナタは…???」 「葉月…珪…」 「葉月くんね!よろしく!!」 「ああ…俺はここで入学式、そっちは急いだ方がいいと思うけど…?」 「じゃ、またね!」 結局、俺は立ち去る彼女をただ呆然と見送る他出来なかった。 一体何をどう話しをしたのか?それすらあやふやだった。 受け答えを無意識にしていたのは僅かに残る冷静な部分が覚えている、という感じだろうか。 それでも解った事があった。”彼女は何も覚えていない”のだ。 俺を見上げる彼女の顔を一目見て、俺はすぐにそれが誰なのか理解した。 彼女は俺の中に残る”忘れたくても忘れられない優しい思い出”に登場する唯一の人物で。 「まるで…ピエロだ…」 独りよがりのマヌケなピエロ。結局、あの約束を信じて、 忘れたくても忘れられなくて苦しんでいたのは自分一人だったという訳だ。 ---これで…。 マヌケな三文芝居もこれで終焉になるだろう。 俺は、今度こそ”忘れたくても忘れられない優しい思い出”を忘れられる気がした…。 それは、放課後の公園を通りかかった時だった。 「なぁなぁ!」 何なんだこの子供は? 「なぁ、聞こえてる?」 馴れ馴れしく俺に話しかけてくるのは見知らぬ小学生。 「何か用か…」 ---俺には一人でのんびりゆっくり…過ごす時間も与えられないって事か。 「にーちゃんさ、イイ男だね!!」 「用は何だ…」 「これにーちゃんにさ、あげるよ!」 「俺が吟味した結果、にーちゃんが一番だったからな、遠慮しなくていいから!」 「……」 「じゃな!!」 ---……今日は厄日なのか…。 俺は見ず知らずの子供に声を掛けられた挙句、 何かを無理矢理に貰わされるハメに陥っていたのだった。 誰もいない家に帰り、しばらくして落ち着いてからそれを俺は思い出し 「そういえば…」 あのけたたましい子供が無理矢理俺に押し付けて行った紙の存在を思い出し、 制服のポケットを探って取り出した。そこに書かれていたのは見覚えの無い数字の羅列。 「携帯番号…?」 それを眺めれば眺める程、考えれば考えるほど訳が判らなくなる。 あの子供は俺にこの携帯番号を渡してどうしろというんだろうか? 「くだらない…」 その紙を、丸めてゴミ箱に投げ捨てた。 「……」 けれど、捨てた筈のその紙をゴミ箱から拾い上げていた俺。 多分、半ばヤケだったのかもしれない。 昼間あったあの出来事が俺を無性にイラつかせたから、だから気まぐれにそれを。 pi pi pi pi pi pi pi … 1コール… pi pi pi pi pi pi pi … 2コール… pi pi pi pi pi pi pi … 3コール目…。 これで出なければ電話を切ろう、そう思った時だった。 「もしもし…」 番号の相手、携帯電話の持ち主らしき人物が出る。 ---女…か。 「もしもし…」 「もしもし…?」 初めて聞く声、初めて聞く筈なのに嫌な予感がした。 「…誰?」 「です…」 ---まさか…そんな偶然が続くはず… 「?」 「です…が、あの…アナタさまはどなた様で…?」 そしてそれは後悔に変わる。何故、電話をかけてしまったのだろうか?と。 俺が変わってしまったように、皆変わるのだ。見ず知らずの相手に平気で名前を名乗れてしまう程に。 だから、俺の判断は間違いではなかった。想い出は想い出のままにしておくのがベストだったんだ。 と、確かに俺はそう納得し結論付けた筈が。 「俺…葉月…」 切ってしまえばそれで終わりの電話に律儀に応えてしまうのは、 納得してない俺も確かにそこに存在してたからだった。 それは単純に俺があの思い出に未練がある証拠。 もしかしたら、そうじゃないかもしれない。そんな風に考えてしまう俺が存在するのも確かだった。 「えーっと…どちらの葉月様で?」 「…」 「あのぉ〜…まさか…」 「葉月…珪…だけど。なんでお前の携帯な訳?」 「さ、さぁ…」 「いや…夕方、知らない小学生から番号書いた紙もらって…」 「なんだ…そうなのかぁ…」 「いや…その反応はどうかと…」 「???」 けれど俺は直ぐに後悔する。 自然を装っておきながら、やっている事は不自然極まりない相手の行動の理由に気付いてしまったから。 全部ワザとなんだろ?弟を使って俺に接触しておきながら、惚けるのは疚しい気持ちがあるからだろ? それも全部、俺が”葉月珪”だからだろ? 「いや…そうじゃなくて…まあいい。それじゃ」 「まって!」 「??」 「また電話していい?」 「好きにしたらいい。用があったら出ないから」 「うん、ありがとう」 「じゃ…」 ツーッ ツーッ ツーッ … 「バカバカしい…」 俺の中にずっと住んでいた少女。 彼女も所詮はただのその辺りにいる普通の女に成長したという事だ。 いや、こんな姑息な手段を使う当り、相当な女なのかもしれない。 事実は誰も知らない。いずれそれも解るだろうけれど、知る必要はない。 どのみち俺はもう彼女には係わらない、彼女だけじゃない、周りの誰とも関わりたくもないのだから。 4/10 撮影の合間の休憩時間。 控え室からスタジオに戻った時、入ろうとする俺と入れ替わるように出てきた人物に驚いた。 ここまで偶然は重なるものなのか? そ知らぬ顔をして、俺に接触しようとして偶然を装っているのか? そんな素振りなど見せず、興味のないフリをして何か目的があるんじゃないのか? 「お前…」 「え?」 「………葉月…くん?」 「バイトか?」 「あ〜…うん、これからも喫茶ALUCARDをごひいきに〜…」 「ああ…」 俺は必要以上に、それも過剰に彼女に対して疑心暗鬼に陥っていた。 「もしかして…モデルさんしちゃってる?」 「そうだけど…何か…」 ---やっぱり…な。 物珍しいのか、モデルが。 いや、俺がモデルをしている事を知っていて興味をもって近付いてきたのかもしれない。 弟を使って携帯番号を渡し、バイトを利用して俺に近付いて。そう思うと胸の辺りがムカついてきた。 やっぱりこいつもその辺にいるバカ女と大差ない、という事に対して腹立たしかった。 幼い頃のまま大人になる人間など存在しない。 俺自身、随分変わってしまったのだから、彼女が変わった事も仕方ない事で。 仕方ないというのに彼女が変わってしまった事が何故こんなにも俺をイラつかせるんだろうか? 「ここモデルさん撮影するスタジオだったんだぁ〜…」 「え…?」 「いや…ほら!スタジオに配達って言われて来たんだけど何してるスタジオなのかなぁって…」 けれど、俺の考えていた事はまるっきり見当ハズレだった。 彼女は”モデルの俺”に興味があったのではなく、単にこのスタジオに興味があっただけの様子で。 「変なヤツ…」 それが何故か妙に嬉しく思え 「まぁいい…がんばれ…」 俺の言葉に嬉しそうに微笑む彼女の頭をつい、子供をあやすように撫でた俺。 ---一体…俺は…何を………どうしたいんだろうか。 俺は、自ら逃げていた自分の中にある薄暗い場所で立ち竦んでいた…。 4/17 「もしもし」 「…もしもし」 「です、もしよかったら…」 「別にかまわない…」 「じゃあ公園入り口で待ち合わせね!」 「解った…」 4/24 急な仕事が深夜まで続いた前日。そのお陰で目が覚めたときは待ち合わせ時間をとっくに過ぎた時間だった。 急いで着替え、取るものもとりあえず公園入り口まで走って ---なんで俺は走ってる…んだ? 俺は足を止めた。 待ち合わせ時間を守らない事で有名な葉月珪。そんな俺が何故、今こんなに必死で走っているんだろうか? そう思った途端、俺の足は走る事を止めた。 公園入り口付近まで走っておきながら、その直前で足はその歩幅をゆっくりに進めるだけの動きに変え、 入り口にあるベンチに腰掛けるの姿を見つけた。 空を見上げぼんやりとしている姿に、いつまであのままいるつもりなんだろうか?そんな思いが不意に浮かんだ。 約束の時間に30分以上遅れていながら、そのままを観察し続けた。 そして、さらに30分過ぎた当りで漸く気がついた。立ち上がる気配も動く気配もなく、 ただ空を見上げたり、ぼんやりと遠くを見つめているだけのの様子に。 ---もし、このまま俺が行かなかったら? このまま約束を破り、俺が行かなかったらはどうするんだろうか? ずっとあのままベンチに座って、俺が来るのを待つんだろうか? ---まさか…いくらなんでも…。 それはないだろう。そうまでする理由も無ければされる理由もない。 ただ、時計の針は待ち合わせ時間を1時間以上も過ぎてしまった。 待たせる事も約束を反故にする理由も、がこれ以上俺を待つ理由もない。 俺は、立ち止まっていた場所から一歩ずつに向かって歩き出したが。 「悪い…待たせたか?」 「ん〜…」 返事に迷う理由が俺には解らなかった。 待ち合わせ時間に来ていただろうからすれば、軽く1時間以上待っている事になるのに。 「どうかしたか?」 「待ってないよ…今来たところだし」 「そうか…」 それなのには、待っていないと言う。今来たのだ、と。 その台詞の中に、気遣っての嘘、という含みは感じは全くない。 本当に、つい今来たかのような返事としか思えない言葉に ---こいつに時間の感覚はないのか…? そうとしか思えなかった。 時間を見ればすぐ解ることなのに、待っていないというのなら それは自身も遅れてきたという事になるというのに。 本当に、待っていた時間など無く、今来たかのような様子。 「適当に歩くか…」 「うん!」 --ただ歩くだけがそんなに嬉しいのか? の嬉しそうな返事に、俺は戸惑うしかほかなかった…。 「芝生がいい色になったな……。」 「すごく…」 「ん?」 「眠りをそそる色が一面に広がってるよね…。」 「…だな。」 独特な表現だな、とつい笑ってしまった俺。 喜怒哀楽が激しかったように覚えている昔。 言いたい事、思った事を素直に口にする所は変わってないのかもしれないが。 何か…はっきり解る訳じゃないけれど、どこか何かが根本的に変わってしまった気がする。とても大切な何かが。 けれど、とにかく今はこののんびりとした感覚を堪能したい、と素直に思った。 この緑一面の芝生に座ってのんびりと…と思ったのもつかの間。 (あれっ!葉月珪じゃない!?) 俺には聞こえてしまった。俺の全てを否定する俺の名前を口にする知らない誰かの言葉が。 「しっ…」 「え?」 そして咄嗟に芝生に腰を降ろそうとしていたを横倒しにし、自分も倒れ込んで姿を隠す。 この場所は周りからは見えにくい場所で、身を隠すのにはもってこいな場所で。 「静かに…」 (見失っちゃったぁ…) (勘違いじゃないの?) (間違いなく葉月珪だったって!) (でもいないよ〜) (よく撮影とかくるって書いてあったから間違いないよ!あっち探そう!) 「行ったか…」 「そのようですね…」 「ああ…」 「それよりもですね…」 「あ…悪い」 不思議そうな顔で俺を見上げるの様子にどうしたものか…と考える。 俺の突然の行動は、には何が起こったか解らないだろう。その理由すらも。 「あの…聞いていい?」 「何だ?」 「あの…さっき…」 当然、にその状況が起こった事を聞く権利はある。けれど聞かれる事は元々好きじゃない。 それ以上に、聞かなくても見当がつくだろう状況をワザワザ聞こうとする事が妙に腹立たしかった。 「たまにあるんだ…。のんびりしようと思っても、誰かに見つかるとそれもできない…」 それでも、決まった台詞のように抑揚のない声で、俺は聞かれた事に答えたつもりが。 「そっか〜…」 俺の答えよりも、さらに抑揚のない、というよりも俺の答えが間違っているかのような 俺以上に抑揚のない返事が返って来た事に、正直驚かされる。 「あ、そうじゃなくて…」 じゃあが聞きたかったことは一体…? 「ん?」 「葉月くんの…」 「俺の…?」 「瞳がね?蒼く見えたの。それって気のせいじゃないよね?」 「じーさんが…外人だから…な」 ---そっち…か。 俺が触れられたくない俺の一部。 知らなかったとはいえ、の無邪気過ぎる無神経さが余計俺を苛立たせた。 「納得!!!!じゃぁ…」 ---もうウンザリだ…。 何故人は自分と違うところを他人に見つけると詮索したがるんだろうか? 「葉月くんの見上げる空は…いつも青空なの?」 「…えっ?」 「ほら!瞳が蒼いなら、もしかしたら曇りの日でも見上げた空は青く見えるのかなぁ?って」 「そんな訳…ないだろ普通…」 「えっ!?そんな訳ない…の?」 「当たり前だろ…考えたら解るだろ普通そんなこと…」 けれど、俺はの言葉に驚かされた。それは、さっきまでの思いの全てが一瞬で消える程の驚きで、 の口からそれを聞かれるのは二度目だった。 昔、今と同じような顔で、不思議そうに聞いてきた。 『ねぇねぇ、けーちゃんの目、何であおいの?』 『おじーちゃんがガイジンだからなんだ…』 『ねぇねぇ、じゃあお外いこ!』 『え?なに?なんで???』 『あれ!』 『くもってるよ…』 『そうなの?』 『うん、くもってる』 『けーちゃんが見たら、ぜったい青空だとおもったのに…』 『そんなわけないよ』 『もしそうだったら、もほしかったのに…けーちゃんとおなじあおい目』 はあの時も今のように悔しがっていた。見ているこっちが可哀想に思ってしまうくらい心の底から。 結局、は変わってしまったんじゃない。 俺が変わってしまったからを見る目が変わってしまったんだろう。 確かには俺との事を何も覚えていない。けれど、が時折見せる言葉はあの頃と変わってはいなかった。 「お前ほんと…変わってるよな…」 「そ、そうかな…」 ---ホント、変わってないよお前…。 「変わってるホント…」 それに気付いたからこそ、このままここにいたい、そう思ってしまった自分がいる。 「そろそろ帰るか…」 そして、そういう訳にはいかない事を知っている自分もいる。 「そうしましょうか…」 「それじゃ…」 「またね!」 公園入り口、待ち合わせをしたその場所で、何事も無かった顔でと別れた。 けれど、歩き出して数歩、背中越しに感じる視線からがその場から動いてない事を感じた。 ---一体…俺は…何を………どうしたいんだ。 俺は、自ら逃げていた自分の中にある薄暗い場所であと一歩が踏み出せずにいた…。 ← □ →