◇◆ Spring -May- ◇◆
              




有沢志穂の場合





例えるなら、まるで空気のよう?

少なくとも、今まで私の周りに存在しなかったタイプだった。
キッカケは入学式当日、私の足元に落ちてきた生徒手帳にある。

『これ…落としたわよ?』

生徒手帳を差し出し、親切にも落としたと言っているのに

『?』

通じていないのか不思議そうな顔で私を見ていた。

『はい、これ…貴女のでしょ?』
---何で私がここまで見ず知らずの相手にしなきゃならないのかしら…。

これからの3年間を思うと、気を引き締めなければならないというのに

『ありがとうございます、先輩』
『先輩…じゃないわ』

親切心が仇になるってきっとこういう事をいうんだわ。
そりゃ、私だって自覚している。多分眼鏡がそう見せるのかもしれないし、
確かに周りの同級生よりは年上に見えるかもしれない。
そんな気持ちからつい口調もキツくなっていた。

『アナタ転入生でしょ?』

だから何も知らないのね。そういう意味合いで多少の嫌味を込めて聞いたのに、
彼女は素直に頷いた。

普通なら、私の今の言葉の中に含まれる嫌味を感じ取る筈なのに、
彼女には全く通じてないみたいだった。

『私は有沢志穂、アナタと同じ1年生よ。ちなみにここは中学からの持ち上がりが多いから』
『私、。よろしくね有沢さん!』

生徒手帳を受け取ってくれればいいだけで、そこで話も済んで別れてそれで終わりの筈が。
彼女はそのまま私の手を握って握手。

---一体何なの…彼女。

自慢じゃないけど。成績は常に上位を走る、世間一般で言う優等生な私。
それは自分の努力の結果だから一切恥ずかしいなんて思ってない。

ただ、周りはどうしてもそういうタイプは苦手と判断して、
少なくとも私に対してこういうフレンドリーな態度を示してきた女子は一人もいなかった。
だからどう彼女に対応していいか判らなくて、私としたことが。

『じゃぁ葉月くんって知ってる???』
『え…ええ。葉月珪でしょ?』

気迫負けしてしまった。
彼女の質問攻撃に、ついついで答える私。

『うんそれ!!』

でも、アノ葉月珪をそれ呼ばわりするなんて。

『成績優秀眉目秀麗、全てが人よりも秀でてるからかなり目立つ存在で、さらにモデルをしているから』
『人気者なんだ!』
『いえ…どっちかというと…誰とも係わらないっていうか人を避けてる感じがあるから逆に悪目立ちしてる風かしら』

他の女子に聞かれたら私まで何を言われるかわからないような、葉月珪に対する自分の評価を
ついそのまま伝えてしまった。なのに彼女は

『不束者ですがヨロシクお願いします有沢さん!』

そう言うと、見ているこっちがハラハラするような手付きで携帯から自分の番号とメールアドレスを
メモに書き写すと私に手渡して走り去ってしまった。



それが、私【有沢志穂】の【】に対する最悪なのか最高なのか、
全く判らない第一印象であり、出会いだった。





それから1ヶ月。私は完全に懐かれてしまったみたいだった。
放課後、図書室で勉強しているといつの間にか目の前に座っているさん。

「有沢さんは今日も勉強なの?」

少なくとも、暇つぶしや遊びに図書室に来ている訳じゃない。

「ええ」
「すごいね〜有沢さん」

毎回のこの、受け答えにもそろそろ慣れてきた私。
こうして私が図書室で勉強していると現れては何をしているの?と聞いてくる。
けれどそれが余りにも頻繁なものだから、煮やした私は何度目かの時、
ついカッとなって叫んでしまった。

『見れば判るでしょ!』

静かな図書室中に響く私の怒声。
そして、私に怒鳴られた当の本人は

『判るけど…一応聞いておきたかったから…ごめんね?』

怒鳴られた事も判っていないのか、ごめんね?といいながら微笑んでいた。
あの時の脱力感といったら…。

何で一応聞いておきたいのかが私には判らない。
けれどその一件以来、私は彼女に対して深く考えるのを止める事にした。
私には彼女を理解出来るほどの読解力はない、そう思ったから。
そう割り切ってみると、逆に彼女の事が少しづつ解り始めた。

こうやって図書室にくるのは、私がいるから。
一緒に帰るのが目的ではなく、何か教えて欲しい事がある訳でもなく。
ただ私がここにいるから来ているだけ…というのが正解らしきものに思えた。
私が聞いていても聞いていなくてもお構いなしに、周りに迷惑にならない程度の
声でいろんな事を語り始める。

参考書を手に数式を解く私に

『すごいなぁ…スラスラ答え書いてる…』

と感心し、読書をしていると

『難しそうなの読むんだね〜…』

と、また感心している。
そんな当の本人は?というと。ぼんやり窓の外を見ているかと思えば
図書室利用率上位に食い込む私ですら見た事もない、というか
おそらく誰も手にした事がないだろう、と思われるような
本を持ってきては何やら必死で書き写している事もあった。
それは多分、私がいなくても彼女はここを頻繁に訪れている証拠。

「それじゃ私、そろそろ帰るから」
「あ、そうなの?私もう少しここにいる…」

ようするに、単に自分の思ったまま普通に行動していて、
ただそれが私の普通とはちょっと異るだけ、というのが正解らしきものだった。
だから、私が帰るからといって、自分も帰る!と言い出す事はない。

「それじゃ、また明日」
「また明日ね!有沢さん」

私はいつものように彼女より先に図書室を出る。
彼女がその後、図書室で何をしているのかは知らないし、特に興味もない筈だった…のに。





「さん」

それは放課後、突然起こった私にとっての大事件。

---何で!?

火・木は私もさんも放課後はバイト先へ直接向かう。
二人で昇降口へと歩いている時、それは突然起こった。

「あ…守村くん、今帰り?」
「いえ、僕はまだこれから図書室へ向かうんです」
「そっかぁ〜…」
「この間さんが探していた本、返却されてましたよ」
「ホント?じゃ明日にでも行って借りてくる!教えてくれてありがと〜」
「それじゃ、僕はこれで…」

私は二人の会話をただ俯いて聞いていた。
最後、会話が途切れた時にやっと顔を上げると、
守村くんに手を振るさんと、それに手を振り返す守村くんの姿があった。
そして、さんと一緒にいた私にもついでに会釈する守村くん。

「どうして…?」
「えっ?どうしたの有沢さん?」
---どうして…中学が一緒だった私ですら話した事も無い守村くんと、アナタがそんな顔で話してるのよ!!

物怖じしない彼女だから、結果こうなってるのは私にだって判る。
私ですら、彼女のその接し方があったから今こうして並んで帰るのだから。
でも、よりによって何で守村くんまで。

「ごめんなさい、急ぐから私先に行くわ…」
「えっ!?あ、有沢さ…まっ…」

私の態度が急変したのは、鈍い彼女にも伝わったみたいだった。
このまま彼女と一緒にいたら、きっと彼女を傷つける事を言ってしまう。
だから私は、私の態度が急変した意味が判らなくて、
追いかけてくる事もできないさんを置いてそこから逃げだした。

『有沢さん…待って…』



うろたえた彼女の声が、酷く私の耳に残った最悪の日。





私はそれからさんを避けるようになった。
彼女も私を避けているのか?それとも単なる偶然なのか。
ついこの間まで突然出来た【友達】のような関係は、結局無くなっていた。
あの日から私は彼女に出会う前までの単独行動に戻っていた。

そして5月も終わろうとしていたある日の放課後。

「有沢さんは〜今日も勉強なの?」

目の前の席に誰かが座ったのは何となく気がついたけれど。
驚いた私が顔を上げると、ついこの間までと何ら変わりない普段通りの顔をした彼女が座っていた。

「え、ええ…」
「有沢さんて勉強好きなんだねぇ〜…」
「嫌い…じゃないわ」
「だよね!じゃなかったら勉強してないもんねぇ」
---一体何が言いたいの?あんな態度を取った私に対する嫌味?

あんな事があったのに、全然態度の変わらない彼女のその態度が私の神経を逆撫でする。
自分の汚い部分を、彼女に暴かれそうで。

「有沢さんて…守村くんも好きなんだねぇ〜…」
「なっ………」
---何言い出すのよこんな所で!!!

思わず叫びそうになるのをグッと堪え、私は手早く荷物を片付け

「え?」

図書室から逃げ出した。今度は一人…ではなく、彼女の腕を掴んで。
そしてその足で屋上に向かい

「あ…りさわさん???」

何がどうなっているのかさっぱり判ってないさんと正面から対峙した。

「図書室は人がたくさんいるの、あんなとこで何言い出すかと思ったら…」

周りの知らない人にまで聞かれ、その上もしも…そう思うと恥ずかしくて誤魔化して。

「何…が?」
「とぼけないで!」
「とぼけてない…けど…」
「じゃふざけてるのっ!?」
「ふざけてない…けど…有沢さん何で怒ってるの?」
「あ、あんな人が大勢いる所であんな事言い出されたら怒るに決まってるでしょっ!!!」

何でここまで言わないと理解できないような彼女の言葉で、
私が図書室から逃げ出さなきゃならない羽目になったと思ってるのよ!

「………もしかして、守村くん?」

返事はしない。じゃない、出来なかった。
こんな、人を馬鹿にしたような態度の彼女に図星を指された事が悔しくて言葉も出ない。

「だって…有沢さん、守村くん好きなんでしょ?何で怒るの?」
「他の人に聞かれたらどうするのよっ!!」

そう、もし他の人に聞かれ、それが本人の耳に入ったら私はどうすればいいの?
責任は誰が取るの?アナタが取ってくれるの?

「どう…って聞かれたら…困る事なの?」
「恥ずかしいじゃない!守村くんに知られたら…恥ずかしくてもう…」

もしそうなったら、私はもう二度と守村くんの顔を見ることは出来ない。
私が彼を好きなことを彼に知られ、彼に困惑され、困惑する彼を見る位なら。

「そんな事言ったらダメだよ…守村くんに失礼だよ?」
「何言って…」
「守村くんを好きなことは、恥ずかしい事じゃないのに…そんな事言っちゃダメだよ…」
「……」
「有沢さん、いつも守村くんの事見てたよ?」
---え…?

私がいつ彼を見ていた所を彼女に見られたっていうの!?

「有沢さん、守村くん見かけるとねぇ…すごく嬉しそうに笑うの」
「……」
「それってさ、嬉しいよ?見てても」

--- 有沢さんが嬉しそうだと、私も嬉しいんだよ〜…。

彼女はそう言った。私は何も言えなくて俯いたままだったけど。

--- 言えなくてもいいよ、女の子だもん。でも恥ずかしいとか言っちゃ絶対だめだよ…。

そんな私に彼女はそう言って

--- 志穂ちゃんが笑ってるトコ、すごく可愛くて私好きだなぁ…。

私は、私が笑っている姿を思いだす事なんか出来ない。
もちろん想像する事もできないのに、彼女はそんな私をそんな風に見ていただなんて。

「志穂ちゃん…そろそろ帰ろ?」
「ええ…」

私は彼女との【友達】としての時間を再び取り戻し、二人で並んで帰りの坂道を歩く。

「ねぇ…」
「なぁに?」
「いつ…気付いたの?その…私が…守村くんを…」
---好きな事を、アナタはいつ気付いたの?
「それはですね…」
--- 初めて志穂ちゃんと図書室にいった時に、志穂ちゃんが守村くんを見た時…かな?

正直、侮っていたからこんな事になったのかもしれない。そう思った。
何も見ていないようで、何も考えていないようなのに、
人の事をちゃんと見て考えて、そして教えてくれた彼女を。人を
見かけで判断しちゃいけないんだ…って事を改めて思わされた。





「あ…」

さらにある日の放課後の図書室。
彼女の手元からフワリ飛んできた1枚の紙。

「うっ…」

私はその紙を見て、ついこの間思わされたことを再度思わされる。

「み、見ちゃった?」
「え、ええ…」

照れるさん。確か

---諸君の実力を測らせてもらうという事での小テストを全クラス行う。

そう言って、氷室先生が行った数学のテスト。
あれから私はさんを通して守村くんと話す機会が増え、二人で話す事も増えた。

---確か守村くん…89点って…言ってたような。

そして私は…85点。
その点数で、かなりの高得点だと後の答え合わせをして思った結果だった筈なんだけど。
手元に飛んできた彼女のその数学のテストの解答用紙には
”100”という文字が輝いていた。



それが2度目の人を見かけで判断しちゃいけないんだ…って事を改めて思わされた時。





さらに。

「志穂ちゃ〜ん!」

そう呼ぶようになったさん。
彼女と過ごす時間が徐々に増え始めた頃、私は気付いた事がある。楽しそうに笑う彼女を、

『いえ…どっちかというと…誰とも係わらないっていうか人を避けてる感じがあるから逆に悪目立ちしてる風かしら』

そう私が自分の評価で称したアノ葉月珪が、優しい視線でその姿を追っている事に。
人の気持ちには敏感な彼女だけれど、いつ、アノ葉月珪の視線に気付くんだろうか?



3度目、人を見かけで判断しちゃいけないんだ…って事を改めて思わされた春の日だった。