◇◆ Spring  -June- ◇◆
              









それはとても興味深い光景だった。

---へぇ…。

あんな表情が出来たのか、と感心さえした。

それは撮影の合間の休憩時間。
スタジオに戻ろうとした俺の視界に入ったモデルと見知らぬ少女の姿。

---おや珍しい。

あの葉月珪がどこの誰とも知らない少女と会話をしていた。

会話の内容を盗み聞きする程悪趣味ではないが、誰に対しても平等に無愛想な葉月珪が他人と会話をし、
ましてあんな表情を見せる相手がとても気になった。

葉月珪というモデルと出会ったのは数年前。まだ奴が中学生だった頃だろうか…。



「初めまして、俺が君を撮影するカメラマンの安東秀ですヨロシク」

相手は子供、なるべく怖がらせないように…という俺の気遣いは無駄に終わった。
握手するべく差し出した手を見、一礼するだけの葉月の第一印象は
【無愛想】な【子供らしからぬ】子供、という感じだった。

ただ印象的だったのはその目、というか表情というか。
本当にこれが子供なのか?そう思わざるを得ない程、葉月の表情は何もないものだった。
喜怒哀楽がこれ程表情に出ない人間なんてそうそういるもんじゃない、
しかもそれが子供だからなおさらだ。
一切に感心がないのか、何を言ってもただ頷くだけで、
顔色一つ変えずにこちらの要求を軽くこなす、というのが俺が出会った頃の葉月珪だった…。





少女の名前は【】。
葉月と別れ、スタジオを出るその少女の後姿にピンときた。

『喫茶ALUCARDです』

俺は直ぐに隣に電話を掛けた。

『もしもーし、あ〜オレオレ』
『詐欺師に用はない。』
『そう怒るなって。ちょっとマスターに聞きたい事が…』

言葉の端々に棘を感じるがまぁいい。

『もしかしてアルバイト変わった?』
『今日から新しい子が入ってくれた』
『高校生?』
『ああ、お前の大好きな女子高生だが何か????』
『もしかしてはば学の1年だったりする?』
『よく知ってるな…ってお前、もうウチのアルバイトにちょっかい…』
『んな訳ないでしょ』
『用件は何だ』
『名前教えて?』
『誰のだ』
『勤労少女の』

ツーッツーッツー…

あっけなく電話は切られ、そこで会話も終了したんだが。
その後、誰からともなく少女の名前が知れ、俺の耳にも自然にその名が入ってきた。
葉月と少女の関係は如何に。

「葉月、彼女と知り合い?」
「……」
---無視ですか…。

全てにおいて詮索を嫌う葉月は一言も返事をしなかった。
けれどあれはどうみても単なる同級生の女子にする表情ではない。
出会って数年、俺が初めて見た【喜怒哀楽】を映す葉月の表情。

---あんな表情を…。

レンズ越しに見て見たいと思う。
氷の様に冷たい感じの視線がイイと評判な葉月。
物憂げな表情がイイんだと誰もが言うけれど、それはありえない。アレは

---仮面…だな。

葉月珪という少年が【モデル:葉月珪】の仮面を被った表情。
というよりも、何事にも興味がないから表情がない、といった感じだろうか。
葉月があの少女に見せた表情。
おそらく本人は無意識だろうが…。

---こんなオヂサンが…

酷く切なく感じてしまう表情だった。
ごく普通の、どこにでもいそうな少女がどうしてあの葉月にそんな顔をさせる事ができるのか?
俺の興味は徐々にそちらへと以降していく…。




















新たな獲物を獲た俺は、さっそく。

「君…何でALUCARDでバイト始めたの?」

コーヒーを届けにきた少女を捕獲する。

「たまたま求人広告見かけたから…ですが?」

かなり不審がられてるようだがまぁそれは当然だろう。

「それだけ?」
「一番最初に見た求人がALUCARDだったんで…」
「なるほど…」

ホントは葉月がいたからじゃないの?
っていきなり聞く訳にはいかない、遠まわしにゆっくりと。

「いや、実はねぇ…」

手招きをする俺の様子に、辺りをキョロキョロ見回す少女。

(今までのALUCARDのバイトの女の子、8割がここ目当てなんだよね)
(そーなんですか?)
(そーなんだよ)
(ウチのバイトの子は届けに行ったが最後中々戻ってこないってマスターによくぼやかれてねぇ)
(あ、あの…)
(何?)
(ここに何かあるんですか?)
(え?)
(女の子がここに来たがる理由…?)
(判んないの???)
(は、はぁ…)
---こ、これはまさか…。

俺は思わず吹き出してしまった。しかも大声で。

なるほどコレはイイ。
今までのALUCARDのアルバイトといえば、
このスタジオにコーヒーを届ける事が目的!みたいなあからさまなのが多かった。
モデルに対しての愛想はいいが他は微妙という解りやすいにも程がある態度のバイトばかり。
だから続かない、直ぐに辞めて行く隣の喫茶店のアルバイト。

---どおりで…

あの気難しいマスターが気に入っている筈だ。
すなわち、同類種の葉月も気に入る筈だろう少女。

---これは…

ますます面白くなってきた……。




















「葉月、頑張ってるか頑張ってないか微妙だが君にいいものをあげよう」

偶然偶々入手した俺には全く無縁の代物。
丁度2枚ある、これを葉月は一体どうするか?

「何…ですかこれ」
「プラネタリウムの招待状2枚、誰か誘って行ってきなさい」

返事は大よそ予測できた。

「いらない…」
---やっぱりか…。
「え〜…折角葉月にあげようとおもってオヂサン貰ってきたんだけどなぁ」
「誘う相手もいない、貰っても仕方ないから…」
「ふぅん…」

今までの葉月なら、いらない…だけで終わる。
その後にどうフォローしてみようが、いらないの一点張り。
それが、どうにも煮え切らない態度の葉月の多少困惑した表情が面白くて仕方ない。

「ま、仕方ないか…」

手はいくらでもあるんだよ少年。
オヂサン伊達に歳は喰ってないんだよ……。




















「失礼しまーす、ご注文の品お届けにまい…」
「ちゃんご苦労さま!」
「…りました…」
「ぷっ…」

本当に面白い。普通とはちょっと違う反応が、かなりイイ。
これは葉月やマスターでなくても気に入るだろう、俺も含めてだが。

「葉月!コーヒー入ったから早くおいで〜…。」

葉月は最近カンが良くなってきた。
元々鋭い子供だったが、彼女に俺がちょっかいを掛けるようになってから
その鋭さは前にも増している。

「……」

今までならことわる誘いを無言ながらも渋々受け入れるのがいい例だ。
俺が彼女に何を言っているのか何を話しているのか、気になって仕方ないんだろう。

「あ、そういえば…葉月とちゃん同級生なんだって?」

くだらない質問だろうが何だろうが、ようは二人の様子を見たいだけの俺は
自分でも本当にくだらないな…と思う質問をする。
そういうくだらない内容の方が、素の反応がくるから余計観察しがいがある。

「1時間後くらいに引き取りに伺います〜」

人見知りなのか?彼女は未だ俺に警戒心丸出しで、
さらにあからさまな葉月の不機嫌な態度に逃げる事しか頭にないようで。

「そんな慌てて戻らなくてもいいからもうちょっとのんびりしていきなさい。」
「そういう訳には…バイト中なので」
「大丈夫大丈夫、心配なら連絡しとくからさ」
「あ、マスター?安東ですが…うん、ちゃんちょっと借りるね〜」
「え、ちょ…いや…あの…」
「15分程だから、うんそう…はいはい…じゃ…」
「あの…」
「これで大丈夫だから、ほら座って♪」

退路を断たれ、どうしようもない所にまで追い込んであげると
ようやく観念して…という彼女の様子が実に面白い。

「で、葉月と同級生なんでしょ?」
「一応…です」
「くだらない…そんな事聞くために…」
「おや?葉月は何怒ってんだろうねぇ」
「別に…怒ってない」
「はいはい…」

さらに、葉月の隠そうともしない態度が非常に面白かったりする訳だが。
葉月の露骨にまで表れ始めた態度にオドオドする彼女が多少哀れに思え

「あ、あの…私そろそろ…」
「さっさと戻った方がいい…」
「えー残念だなぁ…。あ、じゃぁオヂサン送っていくから」
「いや、そこなんで…」
「遠慮しなくていいから、じゃ行くかちゃん。」

俺は彼女を伴い、わざと葉月に手を振ってスタジオから出て行る。
後に残された葉月の表情が見ものだな、俺は見れないが。





「あ…あのぅ…」
「ブレンド1つね〜。」
「マ、マスター…」
「ブレンドね…」
「ほらちゃん、ここ座って。何がいい?」

何でこうなったのか?全く理解できない彼女の
目で訴える仕草が微笑ましい。

「一度ね、お話ししてみたかったのよちゃんと」
「おまたせ、ブレンドと…オレンジジュースでいいね」
「え…私は…」
「遠慮しなくていいよ、休憩時間だしお代はコイツに貰うから」
「あの…」
「そんなに緊張しなくていいよ」
「知らない人に付いてっちゃダメだって言われてるし…」

彼女の台詞は時折突拍子もなく、それに俺は驚かされる。
今ここでそれが何の理由になるのか?いや全く理由にならないだろそれ。

本当に面白い反応をする子だ。
ま、今はそれはともかく。

「そうなんだ…、俺ね、安東っていうの、安東秀っていうしがないカメラマン」
「はぁ…」
「で、葉月を撮影してるのが俺な訳」
「そうなんですか…」
「興味ない?」
「ま、まぁ…」

俺に興味はなくても葉月には興味なくはないでしょ?

「葉月と…仲いいでしょ?ちゃん」
「そんなことないですよ!!」

力いっぱい否定する姿を葉月に見せてやりたい。

「君がココでバイト始めて、ウチにたまに来るようになってから…」
「?」
「葉月変わった感じしない?」
「え?」
「すいません、全っ然わからないです」

けれど

「撮影中とか、感じ変わった気がしない?」
「すいません…あまり見てないから」

言葉を選んで聞いていると、意外な回答をする彼女。

「どうして?」
「好きじゃないから」
「葉月が?」
「葉月珪っていうモデルさんは…知らない人だから」
「モデルの葉月は好きじゃないって事かな?」
「そう…かも…。だって…」

モデル:葉月珪
100人が100人好きだと応えそうな女性受けするアイツを、
スキじゃないかもしれない、そう言えるのは恐らく彼女だけかもしれない。
それよりも。

「知らない人みたいだし…怖い…かも」
「知らない人は怖いんだちゃんは」
「かも…です」
「じゃぁ撮影してない時の葉月は?」
「大丈夫です…葉月くんだし」
「そうかそうか…」

彼女にとっての葉月珪は、たった一人…という事が。

「葉月とこれからも仲良くしてやってちょーだいな。」

あの時、葉月のあの表情を初めて見た時同様、俺は彼女の言葉に酷く……。





1時間後…。





カップを引き取りにスタジオくる彼女を捕まえた俺。
っていうか待ち構えていたんだが。

「ご苦労さま。」
「いえ…仕事ですから」
「よく働くちゃんにオヂサンがイイモノあげよう」

俺は葉月に突っ返されたアレを今度は彼女に手渡した。

「暇な時に遊びに行くといいよ」

封筒の中には、プラネタリウムの招待券が2枚。

「違う子にあげたようとしたらいらないって断られちゃってねぇ…」
「ホントに貰っちゃっていいんですか?」
「貰っちゃってくれないとそれ捨てられちゃう事になるので遠慮なくお願いします。」
「で、では遠慮なく…」

苛めたお詫び、ではないけど。
間違いなくこのチケットが行く筈だったところにもどるだろう、きっと。




















「ちゃんって随分と変わってる子だねぇ」

それは俺が彼女に持った素直な感想だった。
あれから数週間、チケットの行方が気になった俺は葉月にカマを掛けた。

「葉月はちゃんの事どう思ってんのかねぇ…」
「別に何とも…」
「じゃ、葉月はちゃんが葉月の事どう思ってるか知ってるかい?」
「さぁ…興味ない」

そんな筈はないだろう?
今までの君の反応は、興味がない人間の取る態度ではないよ、葉月。

「残念、興味あるなら教えてあげようと思ったんだけど…言う必要はなさそうだねぇ」

彼女が絡んでくると、こうも葉月が変わる事が妙に嬉しく思ってしまう。

このまま成長したら、一体この少年はどんな風になるのだろう?
初めて会った少年にそんな不安を覚えた。
何も受け付けない、自分すら否定しているようなそんな子供だった葉月。

「必要ないとかどうとか、訳わからない…秀さんは知ってるとでも?」
「俺はちゃんに聞いたから知ってるよ。彼女がお前をどう思っているか」

こんな風に、人と人として、対等に普通にお前と会話出来る日が来るなんて、
俺は想像してなかったよ。
そう思う程、将来を心配させた昔の葉月。

「……」
「気になる?」
「別に…どうでもいい」
「好きじゃない…んだって。葉月珪は」

好きじゃない、の言葉に葉月がピクリと反応した。
そりゃそうだ、他人の口から自分の評論を聞く事は気分がいい訳がない。
ましてその相手は他でもない、葉月が無意識の内に意識している相手ならばなおさらだ。

「葉月珪っていうモデルさんは知らない人だから好きじゃないんだってさ」

俺の言葉の意味を考える葉月。

「モデルの葉月は好きじゃないんだって、知らない人みたいで怖いんだってさ」

どこか思い当たる節でもあるんだろう、俺の言葉で何かを思い出そうと考えている。

「……」
「でも撮影してない時は葉月くんだから大丈夫なんだって」
「……」
「不思議な子だねぇ…ちゃん。今まで見た事ないタイプだ、仲良くしてやんな」



『葉月と仲がいいんでしょ?』

俺の言葉に力いっぱい否定してみせた彼女の姿を思い出す。
あれは、葉月に遠慮しているんだろう。
他人と仲良く、馴れ合う事に不慣れな葉月を理解しているからこその遠慮。
きっと彼女なら、頑なな葉月とも…。

「……」
「プラネタリウム…誘われたらオヂサンに感謝しろよ、少年。」

お膳立ては整った。後は当人の努力次第……。




















6月も終わろうとしていた頃。





「ん?何か用?」

今日は確か、アルバイト休みの日じゃなかっただろうか。

「この間の…」
「えーっと?」
「ありがとうございました、プラネタリウム楽しかったです」
「あ!アレね!そうか、楽しかったか。よかったねぇ」
「それじゃ、失礼します…」
---ワザワザお礼だけ言いに来たわけか…。
「それじゃまたね、ちゃん」
「またです〜!」
---律儀な子だねぇホント。

帰っていく彼女の後姿を見送りながら、もう一人はどう出るかを考える。

---さて、どうなるものか…。

まぁ、あの性格じゃどうにもならないだろうけれど。
という俺の考えは以外にも…。



「……」
「ん?どうかしたか?」

撮影後、俺の所にやってきた葉月。

「行って来た…」
「どこに?」
「サンキュ」
「はぁ?」
「……帰る」
「は、はぁ……」

もしかして。一応の報告とお礼だったのか、今のが?

---素直じゃないねぇ葉月も。

素直じゃないけれど。確かに確実に変わっていく葉月。
たった一人、唯一自分をよい方向へ導いてくれる相手にやっと出会えたんだろう。
葉月自信がそれを自覚し、認める事が出来さえすればきっと。



願わくば、不器用な少年と少女に幸あれと、心から想う……。