◇◆ Spring -July- ◇◆ 今年もまたやってきた。 多分…じゃなく、確実にそれは私が死ぬまでやってくるんだけど。 もし70まで生きたとしたらあと54回もやってくる。それを考えるだけで正直ウンザリだ。 だから、なければよかったのに…と真剣に思う、っていうか願う。 何でそうなったのかは覚えていないけれど、今年もついに16回目のアレがやってきた。 判らないけれど、もしかしたら今までの15回とは違うかもしれないアレが……。 「ねーちゃん」 例えるならそれは熊?? 特に用がある訳でもないのに、私の回りをウロウロして様子を伺っている尽。 「なに〜?何か用があるの?」 冬眠から目覚めてお腹を空かせた熊じゃあるまいし、と怪訝な顔をしてみせるけれど。 「いや、別に何でもないけどさぁ…」 「あっそぅ…」 でもね尽?それが嘘だって事が判らない程お姉ちゃんはバカじゃないよ。 理由が判っていて返す返事じゃないって事は判ってるんだけど、 尽を見ているとついそんな口を叩いてしまう。 ---それは愛情なのだよ尽君…。 そして、尽の行動も同じだという事を、私は嫌っていう程判っていた。 「あのさ…」 よっぽど言い難いのか、普段キッパリハッキリ物を言う尽がしどろもどろで話しかけてくる。 私はそんな尽が可愛いくて仕方ない。 「ほら、ここ」 「う、うん…」 腰掛けているソファ。 その横を指差して手招きすると、遠慮がちだけどちょっとだけ嬉しそうな顔をする尽。 「で、どうかしたのかい尽くん?」 「うん…あのさ…」 隣に腰を掛け、視線を泳がせなる尽は遠慮がちに言葉を選びながら話し始める。 「俺もさ、この間聞いたんだけどさ…」 「うん」 所謂一つの風物詩、というべきものなのだろう。 この街の、あの綺麗な臨海公園で行われる行事。 「無理に…とは言わないけどさ…」 「うん…」 「今年は…」 8月の第一日曜日にあるという花火大会の事を、尽は学校で聞いてきたのかもしれない。 そういえば今月に入ってから妙にそわそわしてたっけ…。 「誰でもいいじゃん…」 「え?」 「む…ねーちゃん…また人の話聞いてなかっただろ!!」 ---バレタカ。 「ご、ごめん。つい考え事を」 「仕方ねぇなぁ…。だからさ、今年は…行ってみない?」 「ど、どこに???」 「だーかーらぁ!」 ---つい考え込みすぎて全然尽の話聞いてなかった…。 「今年の花火大会…ちょっとでもいいからさ、行こうよ…」 「え?ええええええええええええええええええええええ!?」 「何でそんなに驚くかなぁ…」 「だ、だってアンタ…いつも女の子と…」 「だーーーーーーかーーーーーーらーーーーーー!!」 「な、なに…」 「頼むからさ、ちゃんと聞いててよ!」 「ごめん…」 ワザとじゃない、と思う。でもワザとかもしれない。 尽の言いたい事は判ってるんだけどどうしても…。 「有沢のねーちゃんとか、藤井のねーちゃんでもいいし…」 「うん…」 「葉月でもいいじゃん…誰かとさ、行ってみようよ…花火」 「そう…だね…」 「きっとさ、大丈夫だって!」 「……」 「だからさ…」 そうだね尽、もしかしたら大丈夫かもしれない。 この街に来てから、生活の全てが変わった。 回りを取り巻く環境も人も景色も全てが。 だから、もしかしたら尽の言うとおり大丈夫かもしれない…けれど。 「気が…向いたら…でもいい?」 「うん、無理しなくていいからねーちゃんが気が向いたらさ…」 「そうしてみる…」 「あとさ、もう一つ…」 「何?」 「今年はさ、ねーちゃんも…作ろうよ」 「そ、それは…」 「いっつも俺ばっかで…」 「それは尽が気にする事じゃないし!」 「でもさ、折角ちょっとでもその気があるならさ…」 「うん…そうだね」 まだ小学生なのに、お姉ちゃんが頼りないとこんなに大人びちゃうんだね。 それは尽だけじゃない。お父さんもお母さんも同じで、私は家族全員に心配ばかり掛けている。 「無駄になるかもしれないよ?」 「いーじゃんそれでも…」 「じゃあ…今度の日曜に買いに行こっか」 「うん!!絶対だからな!」 「判ってるってば」 「やったーーーー!」 こんな事で尽が喜ぶには原因がある。 【7月】は私にとって鬼門というか、1年の内で必要ないとすら思える月。 倦怠感から始まって、頭痛眩暈吐き気等等…肉体的にも精神的にも 悲惨を通り越して、何ていうかコテンパン?というか。 とにかくダメ、何をやってもダメ。 っていうか何も出来ないし、誰が何って言ってもダメ。 いっそ1ヶ月消えてなくなりたい衝動に駆られる位ダメになる。 毎年、その1ヶ月を乗り切る為にしている事。 乗り切る為じゃなくて、それは偶然だった。 それをしている間は何も考えなくて済むから楽に過ごせた。 それに気付いてからは、毎年7月はそれに費やしている。 今年もそれで7月を乗り切るつもりだったけど、雲行きが怪しくなってきた。 毎年、尽の為に作る浴衣。 よもや自分の分まで作る羽目になろうとは…は、嵌められた? 原因も理由も些細な事かもしれないけれど、私にとって7月は……。 「ねーちゃん、これなんかどう?」 「う〜ん…ちょっと地味じゃない?」 「地味って…渋いって言えよ」 「ジジ臭っ」 「……」 久しぶりに尽と二人で来た商店街の服地屋さんには、季節がら大量の浴衣地が置かれていた。 今まで住んでいた町よりもこの街の商店街の方が店も品揃えも豊富。 あれこれ選んでいる中で、ふと目に留まった1つの浴衣地。 「これ…」 「ん?どれどれ???」 淡い碧の中に、さらに淡い碧で小さな四葉のクローバーが描かれた生地。 私はそれを手に取って、少し広げて尽の身体に合わせてみた。 「これ…よくない?」 「う〜ん…ちょっと地味じゃない?」 「でも…可愛いよ?」 「えー!可愛いよりカッコイイの方がイイ!」 「えー!カッコイイより可愛いの方が尽には似合うって!」 「う〜ん…(×2)」 大量の反物をひっくり返して探しても、それ以上にイイと思える生地は見つけられない。 その上… 「お揃いで作る…なら、俺これでもいいけど?」 お、お揃いですか弟と…。 やられた感が拭えないけれど、私は尽の提案を受け入れ、 そして尽は私の主張を受け入れて、その反物を2つ購入した。 「さすがに…お揃い着て出かけるのは恥ずかしいからな!」 だから、誰かを誘うんだぞ!と尽が念押ししてくる。 うん、わかってるよ。 尽がどうしてそこまで拘るのかちゃんと判ってるから、今年はお姉ちゃん、頑張るよ。 目的物を購入し、尽と二人家路を辿っていた時。 「あ!あれ!!」 「ん???」 「何か撮影してるっぽい!もしかして葉月だったりして」 「ちょっと、待ってってば!」 商店街の外れ、小さな輸入雑貨の店前に群がる人の中に尽が消えていく。 その後を追って店の中を覗いて見ると 「うわぁ…ホントに葉月くんだし…」 尽の言うとおり、店の中で撮影?らしき事を行っている葉月くんがいた。 「やっぱすげー人気だよな、葉月って…」 小さな尽の呟く声。見失った気がした尽はちゃんと私の隣に立っていた。 私と逸れないように…というか、私が逸れないようにかもしれない。 小さな尽の手が私の手を握る。 「大変なんだね…人気者って…」 「だね…。そろそろ帰ろっか、ねーちゃん…」 「うん…帰ろっか…」 人だかりの中にいる葉月くんは、もちろん私達に気付く筈はない。 尽の手を握ったままその人だかりから抜け出した時だった。 浴衣地や糸や帯の入った紙袋が急に軽くなった気がした。 「え?」 「ん?何??どうしたねーちゃん?」 「よう!どないしてんこんなとこで」 「あ…姫条くん」 私の手にあった紙袋が何故か姫条くんの手に。 そりゃ軽くなる筈…じゃなくて。 「どーしたの?」 「いや、ちょっと買いモンに来てなぁ、帰りそこ通ったら自分おるし」 「ねーちゃん、誰そいつ」 「ん?何や?ボウズこそ誰や?」 何で尽と姫条くんが険悪になっていくんだ…。 「あ、んとね、これ弟の尽」 「そうかそうか、ちゃんの弟やったんか!てっきり新手のナンパか思ったわ」 「そんな訳ねーじゃん」 確かに。小学生にナンパされて着いて行く訳ないし。 っていうか、何で尽そんなに敵対心むき出しなの姫条くんに。 「姫条くんは同級生だから…ほら尽、挨拶して!」 「尽、よろしく」 「尽か、何やごっつ生意気そうなガキやな」 「そっちも何か軽そうな関西人だよね」 「あ、あの…」 「じゃ、俺達帰るんで。ねーちゃん帰るよ!」 「あ、うん…いや、その荷物が…」 「そうそう、こんな重いモン大変やろ?送ったるから」 「別に重くねーよ!」 「ガキは素直が一番やで?」 「うるさい!ガキガキ言うな!チャラチャラしやがって」 「ホンマ口の達者な子やなぁ…」 「何コイツ、ねーちゃん友達はちゃんと選べよな!!」 「おー怖っ」 「いや、だから…何で…」 君らはそんな喧嘩越しで対面しちゃってる訳!? 「ハッキリ言っとくけど…アンタみたいなチャラ男は…」 「何や?」 「俺は認めないからなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 「尽…あんた一体…」 「そうか?あそこにおって気付かんあのスカした男よりはエエ思うねんけど?」 「アイツは今仕事中だろ!」 「まぁそないカリカリせんと!ほら、行くで!!」 「待てよっ!!」 「……」 あ、あのぅ…。 何で私は君らを見送る形になっているんでしょうか…。 「へぇ…ここがちゃんの家かいな」 「二度と来るな!」 「尽っ!!」 「ごっつ怖いボディーガードやなぁ」 「うっさい!」 参った参った…と姫条くんは笑って流してる。 それに比べ、尽は異常にメラメラ闘志を燃やしている様子。 「つ…つくし??」 「ねーちゃん!家はいるぞ!!!じゃあな姫条」 「ハイハイ」 「ご、ごめんね姫条くん…あとありがと」 「ほなまたな」 一体、姫条くんのどこが尽の逆鱗に触れたんだろう…。 「やっぱり正解だったよねこれ」 「まぁまぁじゃない?」 尽の浴衣は半月程で仕上がった。 試着しておかしなところはないか確認してみる。 「ねーちゃんのはどれくらい出来たんだ?」 「ん〜…半分くらいかなぁ」 「決めた?」 「ん〜…まだ…かなぁ」 「そっかぁ…あ!アイツだけはダメだからな!」 「え?」 「姫条とかいう奴!!アイツは絶対ダメ!!!!!」 以外に執念深いタイプだったんだね尽…。 「悪い人じゃないよ?」 「だから?」 「親切だしぃ…」 「で?」 ---いや、だから…。 「親切だろうが何だろうが、俺は嫌なの!」 「は、はぁ…」 「大体な、ねーちゃんには葉月がいるじゃん!!」 「はぁ???」 何でそこで葉月くんが出てくるかなぁ。 大体葉月くんとは友達…になれたかどうか微妙な位置なんだけど。 「いいかねーちゃん!あんまりフラフラしてると…」 だから、フラフラしてないって。 「葉月に嫌われるからな!!」 「……」 そ、それはちょっと嫌かなぁ…。 「ダメもとでいいじゃん、葉月誘ってみようよ…」 「尽は…何でそんなに葉月くんがいいの?」 「それは…」 「それは…?」 「企業秘密だ。」 「あっそ…」 アンタ何時から企業で働く人になったんだ…って喉まで出掛かったけど。 尽相手にそうムキになる事はないし…。 「ねーちゃんは…人を見る目ないからなぁ…」 「それどういう事よ〜!!」 「葉月じゃないと…ダメだと思うよ俺は…」 ---妙に意味深な台詞じゃないか尽くん…。 ダメとかどうとか、葉月くんとはホントにそういうのじゃないのに。 「男の勘だ!なめるなよ!!」 「アンタ…大丈夫??」 「ほっとけ!!」 う〜ん…大丈夫なのかな尽。 お姉ちゃんが不甲斐ないから尽がどんどん明後日の方向に……。 それから10日。 「ねーちゃん出来たか〜?」 「できたよ〜」 「見せて見せて」 「今着替えてるとこだからもーちょっと待って」 「まーだーーーー?」 「今行くってば〜」 尽の分から遅れる事10日。私の浴衣も仕上がった。 初めて作った自分の浴衣に多少照れるけれど、まぁ上手く出来てるとは思う。 ただそれを着る事があるかどうかは別として…。 「ん〜…」 「ど、どう?」 「孫にも衣装…」 「そりゃどうも…」 「ねーちゃんですらいつもより可愛く見える浴衣恐るべし…」 ---喧嘩売ってるのか尽は…。 「でさ…」 「ん?」 さっきまでの勢いは何処へやら。 急に尽は大人しくなると、私を見つめる。 「どうかしたの?」 何故か判らない。 判らないけれど、私は尽が泣き出すんじゃないか…って思ってしまった。 「尽?」 「ねーちゃん…」 「どーしたの?」 尽はどんどん大人びていく。 私だけが前に進めないまま、尽はとっくに私の前を歩いてる。 生意気で口だけは達者な尽は、いつも私を心配してこんな表情になる。 だから本当は私も変わらなきゃいけない。なのに1歩、前に進めばいだけの事が私には出来ない。 たった1歩前に進む事が、私にとっては命懸けの作業だから。 「決めた…の?」 尽が思う私の第1歩は花火大会なのかもしれない。 「うん…」 せめて尽を心配させないように…私は決めた。 「葉月くんに…聞いてみようと思う…」 「ホントに?」 「うん」 「絶対に?」 「う、うん…」 「よし!」 尽は頷くと、突然2階に走っていく。 そして…。 「今ここで電話して!」 「ちょっと…」 「早く!!誰かに先越されっかもしれないじゃんか!」 「夜にするから…」 「ダメだ!今すぐここで掛けるの!!」 「それはさすがに…」 お、お姉ちゃんハヅカシイヨ。 一応女の子な訳だし…。 「グズグズしてると…」 「ちょ…まって…」 尽は私に差し出した携帯を引っ込めたかと思うと、勝手にどこかへ電話を掛け始めた。 「はい、コレ」 「ぅ…」 そして、携帯から聞こえる呼出音。 『もしもし』 で、出ちゃったよ葉月くん…。 『もしもし…』 尽が期待に胸膨らませた目で見てるし…。 『もしもし?』 な、何て切り出せば…。 『も、もしもし…あ…あの…です』 『お前か……何か用か?』 『あの……』 い、痛い。 尽の視線が痛すぎて言葉が出ない。 『どうかしたのか?』 早く言わないと…尽が電話を取り上げて代わりに切り出しかねない。 『あの…その…』 『ん?』 そういえば。もしかしたらもう先約あるかもしれないし、用があるかもしれない。 断られる確立の方が高いのに、何でこんなに慌てちゃってるんだろう。 そう思ったら少しだけ楽になった。 『臨海公園である花火大会…もしよかったら…』 一緒に行きませんか…って台詞が出てこない。 喉がカラカラになって、上手く話せない。 『特に予定もない……』 『ぇ…』 聞き間違い?予定が無いってまさか葉月くんに限ってイベント的な花火大会に 予定ゼロって…ありえなくない? 『べつに行ってもかまわない。』 『ホント…に?』 『ああ』 『ホントに…?』 『ああ…』 『じゃあ公園入り口で待ち合わせ…で…』 『解った…』 「どうだったんだよ!返事は?OKだったのか?ダメだったのか?」 「うん…」 「うん…ってどっちのうんだよ!?」 「解った…って」 「それじゃ判んないし!!」 「予定ないって…」 「そ、それじゃ………」 「行ってもいい…って葉月くん…」 「よし!よくやったぞねーちゃん!!!!!」 「うん…」 「ねーちゃん?」 「うん?」 「大丈夫だって…な?」 「……うん」 「今までとは…違うんだからさ…絶対大丈夫!」 「うん…」 そうだね。いつまでもこのままじゃダメなんだから、頑張らないとだよね。 いつも自分の事以上に心配してくれる尽の為にも、何よりも自分の為にも 頑張らなきゃいけない。1歩がダメなら半歩でもいい。 ちょっとずつ前に進めばそれで…きっと。 ← □ →