◇◆ Summer  -July- ◇◆
              









1度自覚してしまうと後は坂道を転げ落ちるように…。

それは7月に入って直ぐだった。
微妙ならまだしも、それは誰の目から見ても明らかな変化。
ボーっと・ぼんやり・上の空なんてもんじゃない。

「ってば、聞いてる?」

アイツの名前を聞いた瞬間、俺の足は止まる。
、とその名を呼ぶ声の主は藤井奈津実で廊下でアイツを見つけて話しかけているようだったけれど。

「?」

返事がないのか藤井は何度もアイツに声を掛ける。

「ダメだこれ…」

が、会話がそこで途切れた。
そしてまた別の日。

「さん?」

藤井の時同様、相手の声に困惑の色が見える。

「聞いてる?さんってば…」

今度の相手は有沢志穂。

「ふぅ…まぁいいわ」

そして有沢もまた藤井のように諦めてしまったようだった。
一体何があったというんだろうか?
そんな疑問を俺が感じ始めた頃、今度は俺自身がそれを体験する事になる。

「おまたせしました〜」

撮影の合間の休憩時間。
いつもならそれを運んでくるのはアイツなのに…。

「あら?ちゃんは今日お休み?」

コーヒーを届けに来たのはマスターだった。
そして俺も聞きたかった事を聞くのは…安東さん。

「ああ、今月はどうしても出て来れないらしい」

どうしても出て来れない…のは間違いじゃないのか?
アイツは毎日学校でいつもと同じように過ごしている。
多少いつもと何か違う感はあるけれど、バイトを休む程では…。

---別に…。

単なる知り合いとして知りたいだけだ。だから

「」

翌日、下校時間に昇降口で見つけたアイツに声を掛けた。

「…」
「?」

聞こえていない筈はない。気付かない筈もない。
俺はアイツの真横で声を掛けているのだから。
なのに、アイツは俺を見ようともせず、そんな態度のアイツに苛立ちを覚える。
そういえば、廊下ですれ違ってもこっちを見ようともしていなかった。
あれは気のせいでも勘違いでもない…という事か。

「……」

2・3度声を掛けても無視を決め込む相手を構う必要などない。
一体何が気に入らないのかは知らないが、俺だけじゃなく友人に対しても
その態度はどうなんだろうか。

---バカバカしい…。

俺はそれ以上声を掛けるのをやめた。
そして横を通り過ぎて靴を履き替え、帰ろうとした時だった。

「ぁ…」

アイツの小さな声が聞こえたのが解った。
解ったけれど、今更じゃないか?と思う。
けれど俺は振り向いてしまった。
そして、俺を見るアイツの瞳に捕まってしまった。

「帰る…か」

は俺の言葉に頷くと、慌てて俺の後ろを着いて来た。
いつもの、人1人分よりかなり間を開けて歩く。

---一体…何だっていうんだ。

小さな声に振り向いた瞬間、俺は自分の目を疑った。
俺の事に初めて気が付いたかのようなの表情が、途端に泣き出しそうな顔へと変わった。
そして今の状況に、俺の方が困惑してしまう。

---女心となんとやら…か。

全く…これだから女は……。










結局、アレは嫌がらせの類なんだろう。
もしかしたら、アイツは俺の事を思い出したのかもしれない。
そう俺が思ったのは、日曜偶然アイツを見かけたからだった。

急遽舞い込んだ取材の仕事。
それは商店街の外れに昔からある輸入雑貨の店を使っての撮影だった。が。
そこはどうやら俺の知らない間に、俺のお気に入りの店になっていたらしい。

そんな店で買い物をするフリをする姿を撮っている最中だった。

---あれは…

店の外に群れる人だかりの中に、俺は間違いなくアイツの姿を見つけた。
ここ最近の様子がおかしい感じではない、今までと同じアイツの姿がそこにいて。

---なるほどな…。

その後ろにある1人の姿を見つけた。

---あの男と一緒の時は普通って事か…。

俺とは正反対の、明るい誰とでも話しの合いそうな俺の一番苦手なタイプ。

---姫条と一緒だから、普段のアイツでいられる…のか。

だとしたら、やっぱりアイツは俺の事を思い出したのかもしれない。
姫条と過ごすうちに俺の事を思い出し、
俺のした事に対する仕返しと嫌がらせにあんな態度を取ったとしたら。

---つじつまは…合うな。

事実、俺は確かにアイツを意識し始めていた。その感情が好きとか嫌いとかは解らないけれど、
今まで一度も他人を気にする事などなかった俺が、確かにアイツという人間に興味を持ち、意識し始めた。
他人がどうであろうと俺の構う所ではない。そう思っていた筈が。

けれど、俺はアイツの些細な変化に気付き、それが気になり結局、俺の方から声まで掛けてしまった。
他人に興味のない俺にとって、それはありえない行動だ。
自分でしておきながら、何で?と疑問に思ってしまう自分の行動。
そんな風になってしまった俺を見て、もしかしたらアイツは笑っていたのかもしれない。
あんな風に、人の同情を買う表情をして見せ、俺を影であざ笑い、
幼い頃の約束を忘れたフリをしている俺に対する仕返しだったのかもしれない。

忘れたくても忘れられなかったあの頃の日々。
こんな風に俺に仕返しをする程、アイツにとってもあの日々は大切なものだったのかもしれない…けれど。
数日後、俺は事実を知る事になる。



それは俺の想像とはあまりにもかけ離れていて…俺は改めて己の浅はかさを思い知る事になる。




















「葉月〜」

馴れ馴れしく人の名を呼ぶような知り合いはいない。

「葉月ってば!待ってくれよ!」

しかし、こんな風に突如現れた相手に馴れ馴れしく声を掛けられる状況には覚えがある。

「よぅ!今帰りか〜?」

---根本的に問題があるなこの場合。

小学生とは思えない横柄な態度。
この場合、横柄というよりも生意気という方が当てはまるかもしれない。

---確か尽とかいったな。

初めて逢った時もそうだった。
もう少し普通に声が掛けられないものか?と考えていると

「あのさ、ちょっとでいいから時間ない?」

さっきとは全く違う、大人しく殊勝な態度になる。

「少しだけなら…」
「サンキュ」

夕暮れの公園、俺は小学生とベンチで話し込む事になる…。



「あっ…あのさ…」
「ん?」
「そのっ…」

余程言い出しにくい話なのか、口を開いてはあれこれ考える尽。
その表情はアイツによく似ていた。

「あのさ…葉月って…」
「俺が何か…?」
「そのっ…彼女とかさ…いないの?」

何で小学生にプライベートを詮索されなければならないんだろう。
答える必要はない筈なのに、あまりにもその表情が真剣で

「いない」

俺は何時になく素直に答える。
こんな風に誰かの質問に素直に答えた事など一度もないのに。

「そっか…じゃあさ、ほら!臨海公園の花火とか…興味ある?」
「ない」
「そっか…」
「あのさ…」
「どうした?」
「もし…もしもさ?」
「ん?」
「予定なかったら…だけどさ、もしねーちゃんから誘われたら…」
「……」

この期に及んでまだ足りないというんだろうか?
第一何故俺が誘われるというんだろう…。

「姫条と…」
「え?」
「姫条と行くんじゃないか」
「!?」
「この間の日曜、一緒だったみたいだしな…」

これは嫉妬じゃない。
ただ俺が見たままの事実を言っているだけだ。

「葉月…気付いてたのか?」
「ああ…」

普段と変わらない顔であの場所にいた。

「あの時俺も一緒だったけど…姫条はダメ」

何でダメなんだろうか。
この姉弟の関係は上下関係が逆転しているようだ。

「ねーちゃんさ、最近変だろ?」
「そうだな」
「あれさ…いつもなんだ」
「いつも?」

一体どういう事なんだろうか。

「詳しい事情は…まだ言えない。ただ7月になるとねーちゃん…」

今月に入った途端に様子がおかしくなった。
それは嫌がらせじゃない…という事か?

「俺…本当はねーちゃんの弟じゃないんだ」
「え…?」
「ホントは従兄弟になる…ねーちゃん小さい時に両親亡くしてウチに引き取られたんだ」
「……」
「ねーちゃんの本当のお父さんとお母さんが死んだのが…」
「7月…か」
「うん…」
「あんな風になる程…?」
「思い出したくないとか、他にもイロイロあるけど…とにかく7月はダメなんだねーちゃん…」
「それで…」
「姫条はイイ奴かもしれないけどさ、それじゃダメなんだよ…」
「……」
「付き合うとかそんなんじゃなくてさ、ねーちゃんの事、ちゃんと友達だ!って…仲良くして欲しいんだ」
「それは…構わない…」
「葉月じゃないとダメなんだ…」

この弟にそこまで気に入られた理由は一体何だというんだろう。
幼いあの日、俺が最後にアイツに合ったのも…7月。

---まさか…な。

そこまで自惚れる程俺はバカじゃない。
けれど、があんな風になってしまう事の一端の片隅位にはいるのかもしれない。

「あ!この事はねーちゃんにはナイショな!!」
「ああ」
「んじゃまたな〜!」

また…がまたあるのか?とは言わないけれど。
出来ることなら次逢う時は普通であることを願わずにはいられなかった…。





そして。





『もしもし』

掛かって来たアイツからの電話。

『もしもし…』

話し声がいつもと違う。

『もしもし?』
『も、もしもし…あ…あの…です』
『お前か……何か用か?』
『あの……』

顔は見えないのに、今どんな顔をして電話しているのかが目に浮かぶ。
慌てふためいてオロオロするアイツの顔が。

『どうかしたのか?』
『あの…その…』
『ん?』

俺は待つ。
アイツが自分の言葉で何が言いたいのか、何を伝えたいのかを、急かさずに。

『臨海公園である花火大会…もしよかったら…』

搾り出すような、いつもより擦れ気味の声。
その少しの言葉を発する事が、今のアイツにとっては相当辛いのかもしれない。

『特に予定もない……』
『ぇ…』
『べつに行ってもかまわない。』
『ホント…に?』
『ああ』
『ホントに…?』
『ああ…』
『じゃあ公園入り口で待ち合わせ…で…』
『解った…』

信じられないのか、本当に?と何度も確認した。

---俺は…。

他人を疑う事が当たり前になってしまった。
それがたとえ、幼いあの日を一緒に過ごした相手だったとしても、だ。

俺にとって、多分一番幸せだったあの頃。
それが短い時間だったとしても、共に過ごしたアイツを些細な事で疑う自分が嫌になる。
答えを見つけるのは簡単だ。だけど、真実を見つける事は容易ではない。

---認めてしまえば…。

楽になるのに。

---まだまだ…だな。

少しだけ、疑うのを止めようと思った。
打算や駆け引きの出来る相手ではない。
本当に知りたいのなら自分もそれらを捨てなければ…と改めて考えさせられた。

『泣かないで…』

別れの日、泣き止まないとの別れは幼心に影を落とした。

『必ず迎えにくるから…』

出来ると思って交わした約束。

『うん…』

俺の乗った車を泣きながら追い掛けてきた。

---認めてしまえば…

少しは変われるかもしれない。
芽生えた自覚を少しづつでもいいから認めさえすれば俺自身が。