◇◆ Summer  -August- ◇◆
              









『夜空に咲いた大輪の花みたいだね』
---あれは誰?
『たいりんのはな、ってなぁに?』
---誰が聞いてるの?
『大きな花みたいだね、って事かなぁ』
---そう教えてくれたのは誰?
『そっかぁ』

誰かと誰かが見ている、夜空を彩る夏の花火。一体誰と誰のやりとりだったんだろうか?
一方が私だとしたら、もう一方は誰?

---そんな…はずない…。

そう、私にとって今年の花火は初めて誰かと見る花火。
だからあれが私と誰かのやりとりの筈はない。なのに。

初めて誰かと見た筈の花火なのに、私の中に残るこの記憶一体……?




















朝から妙に忙しい。その原因はもちろん

「ねーちゃんねーちゃん!ちゃんと準備してるのか??」

やたらとテンションの高い尽が原因だったりする。
あの鬱蒼とした、腐海の中で過ごすような7月もどうにか過ぎて8月になった。
まだ残る気だるさはあるけど、何とか普通を取り戻しつつある中で迎えた日は

「あのね?まだ10時って解ってる?」
「いーじゃんかそんな事!待ち遠しかったんだからさぁ、ね?」

ね?って可愛く言ってみたところで、いくらなんでも気が早すぎるにも程がある!と思うのは私だけ?

8月最初の日曜、臨海公園での花火大会を尽はずっと楽しみにしてた。
クラスの女の子と行くらしいから、そりゃ待ち遠しいだろうけど。
でも、尽が妙に落ち着かない理由がそれだけじゃない事は判ってる。
尽の浴衣を作った時にした約束。それは、私も花火大会に誰かと行く、って事だった。

去年までの私なら、多分とかきっと…じゃなくて、絶対行かない行ってないって断言できる。
でも、今年は違った。もしも?的に遠慮がちに遠まわしに尽が出した提案。
あの鬱々とした7月なのに、私はそれを受け入れた。
自分の浴衣も作って、誰かを誘って花火大会に行く…なんて事、
一生ないと思っていたから想像もつかないし、実際この後どうなるかが想像出来ない。
それでも、私は何故かその提案に頷いたんだった。その上、事もあろうか

---誘っちゃった…今考えたらよく電話できたよね…

誘ってしまった、葉月くんを。
夏といえば花火、花火といえば花火大会!
そんなとこに厚かましくも誘ってしまうなんて、冷静な判断が出来なかったんだ…よね?私は。
多分…絶対そう!そうに違いない!じゃなかったら私なんかがそんな事出来るはずなぁい!
つまり、実のところは

---尽だけじゃない!私だって本当は落ち着かないぃぃ…

状態にあるのは、姉としての威厳を保つ為にヒミツにしとこう…。





「忘れ物ない?」

既に準備を終えた尽が私の回りをウロチョロし始める。
うん、多分ないと思う。サイフにハンカチに携帯…っと。

「最小限サイフと携帯だけあればいいよね?」

いくら初体験とはいえ、よもや尽にお伺い…だなんて。

「十分!あとは迷子にならない気合だけあればいいんじゃない?」
---く…痛いところを…。
「大丈夫だって。葉月についていけば安心だって」
「うん」

だよね。葉月くんさえ見失ったりしなければ、大丈夫…だよね?

「万が一はぐれたりしてどうしようもなかったら…」
「なかったら????」
「言わなきゃ判んない訳?」
「???」
「何の為の携帯だよねーちゃん…」
「あ!そうか!万が一のときは、アンタに電話すればい…」
「ちがーーーーーう!!!」
---ち、違うの???
「葉月に…だろ?」
「そ、そうなの?」
---迷子になった上に迷惑かけるのはちょっと

遠慮したいんだけど。
尽に電話しちゃダメなのかなぁ…。

「そうなの!一緒に行く相手でしょ?それくらいはいいの!」
「う、うん…」

一緒に行くからこそ、最小限の迷惑で抑えたいのに。
もしも…を考えるとどんどん滅入ってくるのは気のせいなんだろうか。

「行く前から緊張しすぎても仕方ないじゃん…」
「それはそうだけど…」

だ、だっておねーちゃん初めてなんだよ?尽とならともかく…。

「怒ったりしないだろ?葉月」
「当たり前でしょ!」

私の不可解な行動や言動って自分で言うのも切ないけど。
そんな私に対して、葉月くんは絶対に怒ったりしないとは思う。
今までだってそんな事は一度もなかった。
ただ驚いたり呆れたような顔はするけど、いつも苦笑いしていただけのような気がする。

「とにかく!楽しんでくる事〜!いい?判った??」
「は、はい…」
「それじゃ俺先に出るからね?女の子待たせるなんて事出来ないし〜♪」
---あっそう…。

尽の助言のお陰か?私は少し落ち着いた、と思ったんだけど。
私よりも随分先に家を出た尽との誤差のせいで、私は再び不安に襲われる。

---本当に…

行ってもいいのかな。
まだ7月の余韻が残る状態で出かけて、本当に葉月くんに迷惑かからないんだろうか。

---何で?

葉月くんは、いいって言ってくれたんだろう。
他にも葉月くんと行きたい人は沢山はずなのに、何で私と一緒に行ってくれるんだろう。
いろんな事を考えている内に、私は無意識に携帯を握り締めていた。

---今ならまだ…

引き返せる。急用が出来る事なんていくらでもある。
のこのこ出かけて迷惑かけて嫌われたりするよりも、
そうならないようにする事の方がいい気がして。けれど…。

「おねーちゃん、そろそろ出かける時間じゃない?」

キッチンからおかーさんが顔を覗かせる。

---そうだった…。

不安で心配してくれるのは、尽だけじゃない。
言葉には出さないけど、おかーさんの顔が私をすごく心配しているのがよくわかる。

「行って…くるね」
「うん…気をつけてね?何かあったらすぐ電話して」
「大丈夫…だと思うから」
「うん、それじゃ行ってらっしゃい」

尽に背中を押され、どうにか今日が来た。ここで引き返したら今までと何も変わらない。
折角自分でも変わろうと努力した以上、本当に頑張らないと何も変わらない。
ギリギリまで迷ったけれど、私はどうにか家を出た。




どこをどう通って待ち合わせ場所に着いたか、全然覚えてなかった。

---ここ…だよね?

どうにかたどり着いた公園入り口。
普段より、普段の土日なんかと比べ物にならない人が、そこに溢れてる。

---待ち合わせ場所は間違えてないよね?

私が公園入り口って言ったんだから、間違ってないんだけど、
溢れかえる人の波を見ている内に不安になってきた。

---時間は…間違えてないよね?

19時から始まる花火大会。
移動時間を余分に見て、待ち合わせは18時って言ったはず。

---17時50分…かぁ。

葉月くんの姿はまだどこにもない。
いつもなら、平気で葉月くんを待つ時間が、今日は酷く苦痛に思えた。
それは多分、まだ気持ちが7月を残しているから。
知らない人の群れ、行きかう他人の姿を眺めていると、自分だけが不安定な場所にいるように思えてきた。
皆しっかりとした足取りで行き交う中で、1人だけ違う場所にいる錯覚に、
私は立っているのが精一杯になってくる。
それでも何とか立っていられるのは、葉月くんが来るから…なのに。

---18時…15分…。

待ち合わせ時間を過ぎても葉月くんは来なかった。
それはいつもの事なのに、どうしてこんなにも気に掛かるんだろう。
葉月くんをまつ1分1秒を、数えるように待ち続ける私。
回りをキョロキョロ見渡しても、私の探す人の姿はどこにも見当たらない。

---何かあったのかな

連絡も出来ないような急用が出来たのかもしれない。
このままここで、葉月くんを待っていてもいいんだろうか?
正体不明の不安が込み上げてくる。そんな時だった…突然後ろから私に掛けられる声。

「悪い……遅れた」 
「わ…たしも今きたとこ…だから」

もしかしたら来てくれないんじゃないか?
帰った方がいいんじゃないかって思い始めてたから、言葉が縺れて上手く話せない。

「……そう…か」

不審だったかもしれないけど、葉月くんはそれに気付かないフリをしてくれたのかもしれない。
特に何か言う訳でもなく

「行く…か」
「うん」

いつもより少しゆっくりめの歩幅で歩き始めた。
その背中を追って、いつもよりも急いで歩く私。

「ヒラヒラして……まるで金魚だな」 
「え?」
---ヒラヒラ?金魚?

最初、葉月くんが何を言ってるのか判らなかった。
まだ出店のある所までは随分あるのに。
金魚すくいしたいのかなぁ…なんて考えていたけれど。

「浴衣…」
「あ…そっか…」

浴衣がヒラヒラして、そのヒラヒラが金魚みたいって事なんだ!って
前を歩く女の人の浴衣を見てやっと気がついた。

「綺麗な浴衣だねぇ」
「いや…そうじゃなくて…」
「違うの?」
「お前も…着てるだろ…浴衣」
--- もしかして…ヒラヒラ金魚って私の事?
「あ…うん…一応…」
「金魚は…嫌いじゃない」
「そっか…」

言ってる意味がよく判らなかった。
それが思いっきり顔に出たみたいで葉月くんは少し呆れた顔をしたけれど

「逸れるなよ」

そう言って、さっきまでよりももう少しゆっくりの歩幅で歩き出した。





---どうしよう…。

気をつけていたはずだったのに、やってしまった。
ただ葉月くんと逸れないように、葉月くんの背を見て、それを見失わないように歩いていたはずなのに。
突然前を歩いていた葉月くんが立ち止まったかと思うと振り返り、Uターンした所で私は愕然とした。

---だ、誰だこれ…。

いつどこでどう間違えたらこうなるのか、今更考えても仕方ないんだけど。
振り返った葉月くんは、別人だった。
というか、葉月くんとは別人の背中を追って私は歩いてきた…というのが正解らしい。

---何で…

同じ浴衣だったから?どこかで見間違えた?としか思えなかった。
ただ葉月くんを見失わない、それだけを考えて歩いていたのになんで。

---どうしたらいいんだろ…

人がどんどん増え、徐々に歩くのもままならなってきてる状況で、
葉月くんを探すなんて事が自分に出来るとは思えないっていうか絶対無理。
回りを見ても、他にそれらしい姿も見えない。
かといって、立ち止まっている事も出来ず、私は後ろから押されるまま
どんどんと先に進む事しか出来なくなっていた。

---戻らなきゃ…

せめて少し戻れたら探せるかもしれないのに、もう身体の向きを変える事すら出来ない。
知らない人に埋もれ、このまま自分は消えてしまうんじゃないかって錯覚すら覚えてしまう。
そんな錯覚が不安を膨らませ、思考がどんどん働かなくなって、もう頭の中は真っ白で。

気分が悪いとか、そういう次元じゃなくなってきた。
探すとか探せないとかそういう事も考えられなくなって、
ただ人に押されるままにフラフラと先に進むだけの私には、もう前を見る事すら出来なくなっていた。

けれど、それは突然だった。
誰かが私の腕を掴んで、その流れから救い出してくれるのがぼんやりと判った。
その力に引き寄せられ、人の群れから引き離されてやっとその腕を辿って相手を見る事が出来た。

「珪…くん?」

珪くんを見上げ、私を見る珪くんと目が合った時、現実に引き戻される瞬間っていうのを味わった。
そして何故そう思ったのか判らないけれど、私は怒られると思ってつい目を逸らして俯いてしまった。
頭じゃお礼を言わなきゃ、とかいろんな事を思っているのに。

「大丈夫だった…か?」

けれど、珪くんの反応は私の想像とは正反対のものだった。
私を見つけ、安心したような…そんな珪くん。

「後ろにいると思ってたから…悪い」
---どうして…

珪くんが謝るんだろう。
私が見間違えたから逸れてしまったのに。

「逸れた事気付かなくて…」
---そうじゃない。

心配する珪くんに、何をどう言っていいのか?
自分の持ってる言葉にそれが見つけられなくてもどかしくて。

「気がついたら…知らない人だった…の」
「そうか…」

何とか伝えたくて、ただ状況を説明するだけの言葉しか出てこないけど、それが精一杯で。

「探そうとしても…動けなくて…」
「だな…人が多すぎて身動きも出来ないだろうし」

必死になればなるほど言葉が出なくて口をパクパクさせながら、何故か急に思い出した。

『…まるで金魚だな』

それを思い出して、私はやっと安心できた…気がした。

「ごめんなさい…」

それでやっとどうにか落ち着いて、掛けたくなかった迷惑を
掛けてしまった事に対する謝罪の言葉をやっと口に出来た。

「気にしなくていい…」

けど、今度は逸れるなよ?とでも言いたげな珪くん。
いつものように苦笑いすると

「いくぞ…」

掴んだ私の手をそのままに歩き出したのだった。





「うわぁ…」

大きな音が響き渡ると同時に人々の歓声が響く。
もちろん、私もその人々の一部なんだけれど。
晴れた夜空に打ち上げられる花火は、本当に綺麗だった。

「綺麗だね…」
「夜空に咲いた大輪の花みたいだな…」
「えっ!?」
「いや…なんでもない」
---何だろう今の感じ。

夜空を見上げる珪くんが零した台詞。

『大きな花みたいだね、って事かなぁ』

それに重なるように浮かんだ言葉。

---今の…は?

一体何だったんだろう…。

「どうか…したのか?」
「なんでもない!」
---気のせいだよ…ね。

初めて誰かと見る花火。
こんな風に、誰かと一緒に夜空を見上げて花火を見たのは今日が始めてで、
夜空を色彩る花火がこんな綺麗なものだったなんて知らなかった。

『たいりんのはな、ってなぁに?』
---えっ?

最後の1つが夜空に消え、辺りに少しずつ静けさが戻った頃、また私の頭に浮かぶ言葉。

「どうした?」
「なんでも…ない…と思う…」

そう、初めて誰かと見た筈の花火なのに、私の中に浮かぶ言葉は一体?





「ねーちゃん!!」
---あ、ありえない…。

夜も随分遅いから、そう言って珪くんが家まで送ってくれた…のは良かったんだけど。
家の前、何で家族総出で待ち構えてる訳!?

「すごいな…」
「そ、それほどでも…」

さすがの珪くんも驚きを隠せないようで

「それじゃ…」
「うん…今日はありがとう…」

尽の声が聞こえた辺りで踵を返して帰っていく。
それを見た尽が慌てて駆け寄って来たかと思うと、

「無事帰還おめでとう!おかえりねーちゃん!」

そう言い残して珪くんの後を追った。

---我が弟ながら…

恐ろしく忙しないよ。

---でも…尽のお陰…かな?

今日の事を私は一生忘れない。
私にとって初めて尽くしな思い出の8月のこの日を…。