◇◆ Summer  -August- ◇◆










最後の夜、7月最後の夜に見たあの情景。

『夜空に咲いた大輪の花みたいだね』

思わずそう呟いた俺に

『たいりんのはな、ってなぁに?』

不思議そうな顔をして訪ねる。

『大きな花みたいだね、って事かなぁ』

言った自分自身、言葉の意味はあやふやだったけれど、多分そうじゃないかと教えた意味。

『そっかぁ』

夜空を彩る夏の花火。あれが、二人で過ごした最後の日。




















---一体俺はここで何を…。

半ばうんざりしながらも、大人しくしているのには理由があった。

『葉月じゃないとダメなんだ…』

そう言ったのはまだ小学生の、生意気だけど姉想いな弟だった。

俺は、あんな顔をする子供に未だ出会った事などない。
誰かを想い、大人顔負けの表情をする小学生。
それに絆された訳じゃない。それはきっかけに過ぎないけれど、俺は自分の意思でそれを決めた。
その為の試練なのだと言い聞かせて俺は大人しくここにいる。
それは今から1時間程前の事。久しぶりに誰かと見る為の花火大会へ向かっていた…はずだったのに。



『葉月は今から何処へ行くのかな?』

俺の中で、その時一番出会いたくなかった人物bPそのものに出くわすのは、
一体何の嫌がらせなんだろうか?誰を待たせるのも厭わないけれど。
今日は何故かそれが酷く躊躇われた俺は、かなりの余裕をもって自宅を出た。
そして通りかかったスタジオ前で、休みで誰もいない筈のスタジオ前で、
よりによって捕まってしまったのだった。

『別に…どこでもいいだろ…』
『今日のこの時間のココをアッチ向いて歩く人間の行く所は…』
『……』
『まぁ折角だからさ、寄って行きなさいよ』
『ちょ…っと…』

俺の抵抗など完全無視な秀さんに俺は捕まり、そのままスタジオに連行され

『ほら〜、やっぱいいじゃん』
『訳が解らない』
『お前はいつも唐突すぎるんだ、悪いね葉月君』
『いえ…』

そして何故かそこにいるマスターの手によって、浴衣を着せられていた。

『お客さんに頂いてね?でも柄がちょっと若すぎるしね…』
『はぁ…』

喫茶店の客が店のマスターに浴衣を、なんて聞いた事もないが。
多分それは、大人の大人らしからぬ言い訳なんだろう。

『まぁまぁ、どうせ花火行くんだろ?なら着て行けって』
『花火に行くとか…誰が言った?』

確かに、俺は今から花火に行く。
けれどもし、俺が単に外出しただけの買い物だけだったらどうするつもりだったんだろう。

『大人しく着替えてるジャン?』
『さすが…似合うねぇ』

マスターは秀さんを完全無視なようだ。
黙々と俺を着付けると、俺の着ていた服を片付け

『これは店で預っておくからまた取りにきて』

それじゃ、とさっさとスタジオから出て行ってしまった。

『え?あ!ちょっと…ま…いいか。まぁ葉月!楽しくやっといで』

そして俺は、連行時同様強引にスタジオから出された。

---全く今時の大人は…。

何を考えているんだろうか、と思いながらふと時計に目を向け、己の目を疑った。

---しまった…

待ち合わせ時間に遅れない為のゆとりは既に通り越していた。
結局俺はまた、時間ギリギリにその場所へ向かうハメに。





約束の場所、公園入り口は既に人でごった返していた。
こんな中で人一人を探すのは恐らく至難の業だろう。
遅刻した挙句、人ごみの中からを探し出すのに一体どれくらい時間が掛かり、
さらにその探す時間が遅刻に加算されるかと思うと流石の俺も慌てざるを得なかった。けれど

---あそこ…か。

不安そうな表情でキョロキョロと誰かを探すを、俺はいとも簡単に見つけてしまった。
いつもとは違う、浴衣姿のを。俺は急いで駆け寄り声を掛けた。

「悪い……遅れた」 
「わ…たしも今きたとこ…だから」
「……そう…か」

俺の言葉にオドオドとして返事を返すの言葉は多分嘘だろう。
声を掛け、振り向いた瞬間のの顔には見覚えがある。

『けーちゃん!』

不安げな表情でいつも俺を待っていた。
俺を見つけた途端にその顔が今にも泣き出しそうな表情になり、そして直ぐに嬉しそうな顔になる。
今のの顔は、あの時と全く変わらずだった。

---今でも…お前は…そんな顔で俺を見てくれるんだな。

そう思うと酷く切ないけれど、とても嬉しく思える自分を今の俺は素直に受け入れていた。
がいつも俺に対して向けていた表情や気持ちは、多分こんな感じだったのかもしれない。

---そういえば…。

あの時の俺は、自分だけに向けられるの気持ちが嬉しくて仕方なかったんだった。

「行く…か」
「うん」

いつもより少しゆっくりめの歩幅で歩く。
この人ごみ、少しでも立ち止まって逸れでもしたら、探し出せないかもしれないと思ったから。

後ろにの気配を確認しながら、ゆっくり前に進みながら、
前を行く人の浴衣姿との姿が重なって、

「ヒラヒラして……まるで金魚だな」 
「え?」

言葉がふと口をついて出たけれど、当の本人は意味が全く判ってなかったようだ。

「浴衣…」
「あ…そっか…」
「綺麗な浴衣だねぇ」
「いや…そうじゃなくて…」
「違うの?」
「お前も…着てるだろ…浴衣」
「あ…うん…一応…」
「金魚は…嫌いじゃない」
「そっか…」
---これで意味が理解できるくらいなら…いや、そうじゃないな…。

俺自身、何が言いたいのかよく判ってない。

「逸れるなよ」

多分心配はないけれど、それ以上何か言われて上手く返事を返せる自信はなかった。

---まぁいいか…。

俺はとりあえず、さっきよりももう少しだけゆっくりの歩幅で歩く事にした。





「大丈夫か?…!?」

妙に大人しい…を通り越し、嫌な予感がしたから振り返った。けれど遅かった。
振り返り、声を掛け、そしてそれに返事を返してくる筈の相手の姿はどこにも無くて。

---一体どこで…

逸れてしまったんだろう徐々に人は増え、身動きする事が困難になり始めていた。
この状況で、がまともに機能してるとは思えず

「すいません…」

俺は人並みを強引に掻き分け、歩いてきた道を戻りながらを探した。

けれど、その姿が見当たらない。
右を見ても左を見ても、見知らぬ奴の姿ばかりで肝心のの姿がどこにもない。
持っていた携帯は服と一緒にマスターに預けてしまっていた。
俺と逸れ、一人で戸惑っているを想うと身動きし辛い状況に苛立ちが募る。

---どこ…だ。

俺に気付いた何人かが振り返っていたけれど、それどころじゃなかった。
とにかくアイツを探してやらないと

---泣いている…かもしれない。

一度だけあった。
それは単に遊びの延長で、単なるかくれんぼだった筈なのに。
どうしても俺を探せない鬼のは泣いていた。
それは、俺が探せなかった事に対してじゃない。
探しているうちに俺がいなくなってしまった、との中で俺を探す理由が変わってしまった所為だった。

前を歩いていたはずの俺がいなくなり、探す手段もなく途方に暮れているはずの。
俺は必死でその姿を探し

---いた…

やっと見つけた。
人ごみに埋もれ、何処を見てそう確信したのかは自分でもわからないけれど俺はを見つけ出した。
どうにか近くまで身体を割り込ませ、その腕を掴んで強引に人ごみから抜け出した俺達。
はしばらくしてやっと…それが俺だと判った、という感じだった。

「珪…くん?」

俺は一瞬、それが自分を呼んでいるという事が判らなかった。

---名前…で呼ぶのか?本当にそれで…

たったそれだけの事に、何故俺はこんなにも…胸が躍る?

「大丈夫だった…か?」

けれど、の俺を見る目にその気持ちに相対するように後悔ばかりが湧き溢れてくる。

---こんな顔させるくらいなら…

最初からこうしておけばよかったと。

「後ろにいると思ってたから…悪い」
「逸れた事気付かなくて…」

言葉足らずではなく、それを言うだけが精一杯の。

「気がついたら…知らない人だった…の」
「そうか…」
「探そうとしても…動けなくて…」
「だな…人が多すぎて身動きも出来ないだろうし」
「ごめんなさい…」
---謝らなければならないのは…

俺の方だというのに。

「気にしなくていい…」

そんな気休めでが安心できるなら…と。

「いくぞ…」

俺は掴んだの手をそのままに歩き出した。





「綺麗だね…」

晴れた夜空に打ち上げられる花火は、本当に綺麗だった。
こうして、と並んで夜空の花火を見る日が来る事を、あの時の俺は願っていた。
それが決して叶わない事だとわかっていても。
夜空の花火に対する俺のイメージは、死んだじーさんの受け売りで
幼い日同様、俺はふとそれを口にする。

「夜空に咲いた大輪の花みたいだな…」
「えっ!?」

そんな俺の言葉に敏感に反応したに、つい俺まで反応してしまう。

「どうか…したのか?」
「なんでも…ない…と思う…」
---本当に…なんでもない…のか……?

のどこかに、かすかに残っている…んだろうか……?





流石に一人返す訳にもいかず…は言い訳かもしれない。
俺は自分がそうしたくてした事に対して必死で言い訳を考えながら、
を家まで送ったんだけれど。さすがに目の前の状態は想像を超えていた。
家の前で、恐らく家族全員だろう人が待ち受けていたその状況。

「ねーちゃん!!」

俺達を見つけ、駆け寄ってくる弟。

「すごいな…」
「そ、それほどでも…」
---これで十分だな。
「それじゃ…」
「うん…今日はありがとう…」

俺はそこで引き返す事にした。
背中越しに姉弟の声が聞こえてくる事に妙に安心感を覚える。
そしてそれは、振り返らずにそのまま歩きだして数秒位だろうか。

「葉月!!」
「ん?」

今、姉を出迎えていた弟が何故か俺を追って来ていた。

「どうかしたのか?」
「あのさ…」
「ん?」

「ありがと…ありがとな、葉月…じゃまたな!」

言いたい事を言い終えたのか、弟は再び家に向かって走り出していた。

---俺は…

あんな風に礼を言われる覚えはない。けれど

---ヤバイな…。

俺の行動で誰かが喜ぶ事が、妙に嬉しいと思える事が不思議だった。



そして俺はその日に決めた。

---少し…だけ…

自分から歩み寄り、知る恐れずに進む事を選ぼうと。